※本稿は、福田智弘『人間愚痴大全』(小学館集英社プロダクション)の一部を再編集したものです。
「大統領の仕事がこんなにキツイと知っていたら……」
大統領なんかならなきゃよかった
ケネディ(政治家)
史上最年少となる43歳でアメリカ大統領に当選したのが、ケネディである。(ちなみに、史上最年少の大統領はケネディではない。42歳と322日で大統領となったセオドア・ルーズベルトである。ただし、彼は大統領の暗殺に伴い、副大統領職から繰り上がりで大統領になったのであり、選挙で当選したわけではない。)
前任のアイゼンハウアー大統領の下で副大統領を務めてきたニクソンという強敵を破り、若さと人気を武器にアメリカを率いることになったケネディ。しかし、その彼が、かつて大統領候補者選びのための選挙(民主党予備選)で争ってきたライバル議員に向かって
「大統領の仕事がこんなにキツイと知っていたら……。あなたに勝つんじゃなかった」
と述べたことがあったという。
つまり、「大統領になんかなるんじゃなかった」という愚痴である。いったい何があったのだろうか。
精神的に追い詰められながらも、アメリカと世界を救った
この当時、アメリカは「キューバ危機」に揺れていた。この頃、世界はアメリカを中心とする西側諸国とソ連を中心とする東側諸国がさまざまな面で対立を繰り広げた「冷戦」の真っ只中にあった。その時、アメリカの目と鼻の先にあるキューバに、ソ連がミサイル基地を建設しているという情報が入った。キューバには、カストロらの手によって社会主義国家が樹立されていたのだ。
国土のすぐそばにミサイル基地が建設されたら、わき腹にピストルを突きつけられて生活するようなもの。基地建設の情報を得たケネディは、海上を封鎖しミサイルの搬入を阻止した。しかし、ソ連はそれを「主権の侵害だ」と激しく抗議。米ソの緊張は最大限に高まり、核戦争まで「あと一歩」とささやかれた。
矢面に立ったケネディは、臨戦態勢を整えながら、議会にも協力を求めた。この頃の彼は、いつもの自信満々の笑顔ではなく、少しやつれたように見えていたという。そして、この時、大統領選挙も終わり今や同じ党の仲間に戻った元ライバルに対し、そっと述べたのが右の言葉だったのである。
とはいえ、仲間内では弱音を吐きつつも、外交上の脅威に対しては一歩も引かなかったケネディは、ソ連に対して強い態度を示しながら、密かに外交交渉も進めていた。そしてついにソ連は「アメリカがキューバへ侵攻しないこと」を条件にミサイルの撤去に同意。間一髪、キューバ危機は回避されたのである。
かつてのライバルに愚痴を漏らすほど精神的に追い詰められながら、無事にアメリカと世界を救ったケネディ。その後の活躍が大いに期待されたのだが、それからわずか1年後に凶弾に倒れてしまった。まだ46歳の若さである。