昭和の政治家・田中角栄元首相は、今でも根強い人気がある。なぜ彼は人の心を惹きつけるのか。セブン‐イレブン限定書籍『田中角栄処世訓 人と向き合う極意』(プレジデント社)の一部を特別公開する。今回は「冠婚葬祭」について――。(第1回)

※本稿は、小林吉弥『田中角栄処世訓 人と向き合う極意』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

6カ月ぶりの郷土入りで、贈られた花束を手に出迎えの人たちに応える田中角栄前首相(新潟・長岡市の国鉄長岡駅前)
写真=時事通信フォト
6カ月ぶりの郷土入りで、贈られた花束を手に出迎えの人たちに応える田中角栄前首相(新潟・長岡市の国鉄長岡駅前)

金に困った議員に“生きたカネ”を配る

人は
カネの世話に
なることが
何よりつらい。
そこが分かって
一人前。

選挙の季節になると、資金が足らず、各派閥の領袖のもとには支援を訴えてくる議員が多くなる。田中と他の派閥の領袖が違うのは、その対応の仕方である。多くの派閥のトップは、部下に渡したことを口外してしまうのである。「誰それがやって来たので、いくら出してやったよ」と。

要は、親分風を吹かせたいのだ。が、こういう話はすぐに広まり、当の部下議員の評判はガタ落ちになってしまう。「そんなにもカネに困っているのでは、ろくに政治活動に身が入らないのではないか」との噂も立ち、次の選挙も危うくなるのである。

しかし、田中は資金援助をしても、決して口外することがなかった点で白眉はくびであった。田中は若い頃から汗水たらして働いてきたので、カネの苦労を人一倍よく知っていた。

こんな話がある。子どもの頃、家が貧しかったため、母親に代わって親戚にカネを借りに行ったことがあった。そのとき、他人にカネを借りることのつらさ、胸の痛みを知ったということだった。

そのために、ピンチに陥っている議員にカネを届ける秘書たちに、次の言葉を常々申し渡していたのだった。

「姿勢を低くして渡せ」と秘書に指示したワケ

「おまえは絶対に『相手にこれをやるんだ』という態度を見せてはならん。『もらっていただく』という気持ちで、姿勢を低くして渡せ。人は、カネの世話になることが何よりつらい。相手の気持ちをんでやれ。そこが分かってこそ一人前だ」と。

自分のカネでもないのに、秘書のなかには高飛車に出る者もいる。それは“生きたカネ”とはならないと、厳しくいましめていたということだった。

こうした田中の抜群の気配りに、支援を受けた議員はみな感謝し、「角さんからのカネは心の負担がない」と永田町での声は少なくなかった。

カネというものは、「両刃の剣」だ。上手に使えば自分の成長の“栄養源”になるが、ヘタな使い方をすると人品が卑しくなり、逆に評判を落とすことにもつながる。

また、一方で自分のカネは極力出したくないという人間もいる。しかし「ケチに説得力なし」という言葉があるように、それなりの人物がいくら立派なことを言っても、誰も聞く耳を持たないということになる。

カネにケチな人間は、伸びないと知りたい。倹約と吝嗇りんしょく(ケチ)は違うのである。筆者は、多くの政治家を見てきて、そう実感している。一般社会でも、同じことが言えそうである。