2倍なら平凡、10倍なら……

生きたカネは、
やがて“芽”を出す。
敵ですら、味方になる。

田中角栄における「10倍の哲学」とは、なかなか有効性のあるものだという話である。読者諸賢すでにご案内のように、見事にカネを切って見せるのが田中の大きな持ち味であった。カネが切れるとは、生きたカネを使うということである。

カネは、魔物である。上手に使えば相手の感謝を得るが、ケチも含めて下手な使い方をすれば、相手からの反感を買うことのほうが強くなる。

1972年6月、内閣総理大臣に就任した頃の田中角栄
1972年6月、内閣総理大臣に就任した頃の田中角栄(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

そうしたなか、田中はしばしば「10倍の哲学」を駆使し、相手を取り込んでいたのである。

例えば、香典にしろ、見舞い金にしろ、議員への支援金にせよ、誰もがこの程度の金額だろうとしているモノを出しても、これは“平凡”である。2倍上積みして出せば、相手は「えっ……」ということで、感謝の度合いやその人への関心もやや高まることになる。

しかし、ドーンと目の前に予想だにしなかった10倍のカネを積まれたらどうなるか。「おお、これは……」で相手は目を剥き、人間は驚くと改めて対象物を凝視するという性癖を露わにすることになる。

すなわち、ここまでオレに関心を持っていてくれたのかというショックである。そして、これはいつまでも心に残り離れないということになるのである。

「国会の止め男」に届けた異例の香典

こんな例がある。

社会党に、大出俊という代議士がいた。田中が若き郵政大臣の頃、労組「全逓」の幹部として田中とわたり合った経緯があった。田中は立場は違うが、頭の回転も速いこの大出を買っていた。大出は、やがて国会議員となり、政府・自民党の政権運営、政策に待ったをかけ、「国会の止め男」の異名もあった。

その大出の、親族の一人が亡くなった。常に与野党問わず情報網を敷いていた田中のもとに、当然のようにそうした情報が入った。田中政権時代、田中派を担当していた政治部記者のこんな話が残っている。

「大出の親族の死を知った田中は、ある田中派の中堅代議士に50万円ほど入った香典袋を渡し、『ワシの代わりに、これを届けてくれ』と言った。ところが、そうしたさなか、ちょっと時間ができた田中は、『君は行かんでよろしい。ワシが直接行く』と言って、結局、葬儀にまで出席した。政敵の親族になんとも“異例”の50万円という香典、ましてや本人がそれを持って葬儀にまで現れた。大出は、のちに言っていたそうだ。『角さんには参ったな』と」

かく、田中角栄「10倍の哲学」ということだが、その後、大出が国会で田中批判の大声をあげることはなかった。

一方、田中のこうした相手に対する“金銭的奮発”も、決して自ら見返りを求めなかったことで特筆に値する。「来る者は拒まず、去る者は追わず」のうえで、議員への支援で渡したカネのことも一切他言せずであった。