毒母という言葉がメディアで取り上げられるようになって久しいが、まだまだ世間では母娘問題の本質的な話はしづらい空気がある。幼少期から肉体的、精神的虐待を受けて育ったノンフィクション作家の菅野久美子氏と、小説や漫画で母娘関係がどのように描かれてきたかを考察した『娘が母を殺すには?』を上梓した書評家の三宅香帆氏が、母娘問題の難しさを語り合う――。

キレイで勉強もできるのに自己肯定感が低いワケ

【菅野】三宅さんは、母娘の関係が小説や漫画、ドラマ、映画などのフィクションでどのように描かれてきたかを考察する『娘が母を殺すには?』(PLANETS)という本を出されました。どのような動機でこの本を書こうと思われたのでしょうか。

【三宅】母と娘の関係は、昔から漫画や小説、特に女性向けの少女漫画や女性作家の小説などで描かれることが多いテーマでした。ところが、それらが「評論」という俎上そじょうに載ることは、ほとんどありませんでした。母娘問題は女性によくありがちなテーマなのに、まだあまり解決策が提示されていないのではないか。そう考えて今回、母と娘に焦点を当てて、時代とともにどのように描かれてきたかを1冊にまとめました。

【菅野】私自身、今までに創作物に描かれてきた母娘問題に関してのまとまった評論を読んだことがなかったので、衝撃的でした。私が書いた『母を捨てる』(プレジデント社)は幼少期から、肉体的、精神的、ネグレクトなどあらゆる虐待を母から受けてきた私が母と決別するまでの一部始終を綴った実録ノンフィクションです。三宅さんが書かれた「評論」とは違った角度になるのですが、割と近い時期に出版された「母娘」本という点は、共通しています。

三宅さんご自身は、お母さんとはどのような関係性だったのでしょうか?

【三宅】私自身は、母との関係は本当に普通で、とくに大きな問題はありませんでした。どちらかというと、友だちなどを見ていてとても気になったことはありました。私がこれまでに見てきたのは、菅野さんが経験されたような虐待というより、もう少しライトなケースです。

例えば家を出て一人暮らしをしても、母親から罵倒とまでは言わないまでも、とても強い批判の言葉がずっとLINEで送られてくる子や、偏差値の高い大学に進学して、見た目もキレイで何でもできるような子が、母親にだけは大きなコンプレックスを持っていたり……。

母親からの否定によって、いまどきの言葉でいうと「自己肯定感」がとても低くなっていたんです。世間では恋愛や仕事などが女性の自己肯定感を損なうと言われますが、母親の問題もかなり大きいのではないかと思いました。

彼氏ができたら必ず介入してくる母親

【菅野】三宅さんと私は若干年代が違いますが、私の周りでも割とその感覚は共通しています。わかりやすい虐待ではなく、つねに母親の“視線”を感じていて、その干渉に娘がいびつなかたちで愛憎を抱いていたり、人生を支配されていたりする。つまり母のいびつな愛に、足をからみ取られるように、苦しんでいる人がけっこういる。

例えば遠距離にもかかわらず母親に仕事のシフトを送っている友人を、私は数人知っています。母親は娘の都合など何も考えずにそのシフトの合間に頻繁に長時間の電話をかけてきますし、彼氏ができたらそのジャッジなりに、必ず介入してくる。もちろん母のジャッジは絶対です。

そんな母親が本当に多いと感じます。表面上は友だち親子でも、長期スパンで見るとまさに娘の「自己肯定感」を損ない、人生を母色に縛り上げるような関係性なんですよね。

【三宅】外からは「仲のいい母娘」と思われていても、娘本人はかなり複雑なものを抱えているケースも少なくありませんよね。それならLINEをブロックすれば解決するかというと、そんな単純な問題ではない。

【菅野】「だったら切ればいい」と簡単に言う人もいますが、そういう問題ではないですよね。母娘関係は、白か黒かではない。

娘の顔をなでる母親
写真=iStock.com/Boogich
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