「これ以上、俺に言わせるな」
2002年に日産が軽自動車に参入することで、OEM(相手先ブランドによる生産)供給するスズキは生産台数が増加する。つまり、工場の稼働率を引き上げられる。
両社の提携について、ライバルメーカーは当時どう見ていたのか。軽を生産するあるメーカーの国内販売担当役員はこう言い放った。
「そりゃ、スズキのほうが得したよ。いくら世界のゴーンといえど、相手はあの鈴木修さんだぞ。海千山千の……。これ以上、俺に言わせるな」
また、別のメーカー系販社社長は、「日産には、利幅が薄い軽を売るノウハウがない。一方、メーカーとしてのスズキにとっては工場の稼働率アップにつながる。しかし、日産がスズキ製の軽を売ることで、スズキにとっての生命線である業販店の売り上げが食われてしまう。両刃の剣になる」と指摘する。
OEMによる影響はなかった
鈴木修は、第一部の営業幹部研修会でも、第二部での販売店大会でも、日産に供給するのは一車種のみということを強調した。
「日産の軽がたくさん売れたらどうしましょう、という心配もあるでしょうが、もっと自分の腕に自信を持つべきです。これまでスズキは業販網で実績があるのだから」と営業幹部には話し、業販店に対しては
「日産の乗用車とスズキの軽を持っている客は少ない。日産は来年初頭から売り出すが、みなさんにはもう少し早く提供しますから、新規客開拓のチャンスです。カローラは登録車で一番売れて年間16万3000台。だが、ワゴンRは年間24万台も売れているのですから」と具体的な数字(いずれも2000年)を示しオヤジさんたちに自信を持たせた。
では、現実はどうなったのかといえば、日産の2002年度の軽販売実績は4万7356台。月間平均ではほぼ4000台となり、「月3000台程度」を上回った。それでも、業販店から鈴木修への批判は、表だっては出なかった。
フランスのエリートVS元カミカゼ
スズキと業販店のなかの、特に副代理店とは、“持ちつ持たれつ”の関係を構築しているからである。後に詳述するが、スズキは副代理店の子息を、スズキに入社させているのだ。スズキで働く期間は5年から人によっては10年。実務を身につけてもらう、ある種の研修制度だ。息子である後継者をメーカーが教育してくれることは、父親である副代理店の社長にとっては何よりありがたい。
スズキに働き学んだことを、息子は自社に戻り役立てていく。「3代にわたって知っている副代理店も少なくない」と鈴木修。
この一方、工場の稼働が上がり人が足りなくなると、副代理店はサービスマンを湖西工場などスズキの工場に派遣して、人手不足の穴を埋めていく。
日産自動車の富井史郎常務(当時)は、鈴木修について次のように話した。
「自分で判断し行動できる、日本では希有な経営者でしょう。セールスマンとしても一流。即断即決ができるという点では、ゴーンに似てると思います」
“コストカッター”の異名を持つゴーンと、「ハート・ツー・ハート」の人間関係を何より重視する経営者の鈴木修。
片やフランスの名門エコール・ポリテクニーク卒業に対し、こなた元カミカゼ。対極に位置するように見える二人の経営者だが、実は共通項はある。一つは富井の指摘のように即断即決ができ、もう一つはともに現場主義者であることだ。
現場を軽視するカリスマ経営者なら、社長室にこもり、人事権を背景に“裸の王様”として君臨するだろう。だが、二人は現場に赴き、積極的にコミュニケーションを取る(ゴーンも、日産リバイバルプランを実行中だったときは、現場を頻繁に訪れる経営者だった)。
問題は、コミュニケーションの手法だ。鈴木修の場合、上意下達に徹したり、一方的に質問を浴びせるばかりではなく、時には相手の立場や目線に合わせて本音を引き出していく。その本音の中から、ソリューションを提示していく。相手の本音が出た時点で、いわゆるハート・ツー・ハートは成立する。
もっとも、カリスマ経営者に共通するが、「(鈴木修は)朝令暮改ではなく、朝礼昼改だった」と、多くのスズキ幹部はいまも口を揃える。


