経営にとって、赤字は悪である

GMがスズキの出資比率を10%から20%に引き上げるとした2000年9月の共同会見の席上で、「GMの傘下に入る」と、鈴木修は旗印を明確にした。だが、スズキはあくまで自主独立であるという点を強調する。

精神面での自主独立ならともかく、GMの出資比率の拡大により、スズキの独立性は低下する。スズキに対するGMの所有率は上がったからだ。

この点を、鈴木修は筆者に次のように語ったことがある。

「みんな左前になってから傘下入りするから、決定権がデトロイトやパリに移ってしまう。スズキは黒字だから、(連結対象でも)浜松で決められる。だからいつも黒字でいることが大事なんだ。経営にとって、赤字は悪である」、と。

一方、ゴーンに対してはこの日の夜、筆者に次のように話した。

「ゴーンはまだ40代。若いから、勢いでもっていっている。ワゴナーは同世代だが、ゴーンのようにせっかちではなく、おっとりしているというのか、落ち着いている。スミスになると、熟練の域だな」

どうも、初対面だったこの頃から、鈴木修はゴーンという人間に対しては、懐疑的に見ていたようだ。鈴木修がよく言う、自身の「カンピューター」が、「この男とは距離をとれ」と指令を出していたのかも知れない。

トヨタをけん制するための日産との協業

この頃、軽市場でスズキはトヨタ・ダイハツ連合と熾烈な販売競争を繰り広げていた。しかもトヨタは、登録車に比べて税額が低い軽自動車税の優遇面を無くしてしまおう、と動いていた。

トヨタの豊田章男氏と握手をする鈴木修氏
写真提供=スズキ
一時は死闘を繰り広げたトヨタと2019年に資本提携する。豊田章男会長は修氏を尊敬している経営者の一人だ。

それだけに、急速に経営再建されつつあった上、軽に参入する日産と協調していくのは得策にも思えた。商品ポートフォリオ上でも、両社はほとんど重ならない。

しかし、鈴木修はいつも人物を見て物事を判断していた。状況(特に短期的な)ではなく、人の“奥行き”までも心で見ていたのだ。

GMとの資本提携は、GMの経営破たんに伴い2008年11月に解消されてしまう。カナダの合弁工場からも、スズキは撤退していく。

2001年の頃は、最良であり最強のパートナーの元、安定という名の密月にあった時代だった。

一方で、ハート・ツー・ハートが裏切られたとき、鈴木修は強大な相手に対しても闘いを挑む。

1997年、スズキはインド政府と、合弁会社でインド最大の自動車メーカー「マルチ・ウドヨグ社」(現在のマルチスズキ)の社長人事をめぐり激しく対立。スズキは提訴まで行ったが、ゼロを開発した大国を相手に日本の一民間企業が喧嘩をした格好だ。背景には、インド政権の混乱があったが、翌年の新政権発足により両者は和解した。

「インドの自動車産業を育てたのはスズキだ、という思いがあった。どんな相手でも筋はきちんと通さなければ。インドにも応援してくれる人もいて、国や言語が違っても、誠意は通じる」と鈴木修。

その後も、GMに代わり資本提携した独フォルクスワーゲン(VW)と、提携解消を巡り法廷闘争を繰り広げた歴史がある。

秋田スズキの石黒寿佐夫は言う。

「カッコよく言えば、修さんは(映画)ゴッドファーザーに登場するドン。忠誠を誓う人をマメに面倒みる反面、理不尽な仕打ちに対しては徹底して牙を剥く。インド政府やフォルクスワーゲンといった、敵がどれほど強大であっても」、と。

「情の人」か「理の人」かと問われれば、鈴木修は間違いなく前者である。だが、やられたら、徹底してやり返す。筋を通して。

サラリーマンの“三倍返し”などとは、違う次元で。