「当たり前だよ。忘れてないよ」

仙台ロイヤルパークホテルの宴会場で、業販店の懇親会が始まった。この日のクライマックスである。鈴木修をはじめスズキ関係者は、下座の円テーブルに陣取る。

筆者は鈴木修の隣席に着座した。乾杯と簡単な挨拶を済ませると、前菜に一口だけ箸をつけただけで、「さて、行くか」とアサヒスーパードライのビール瓶を手にして鈴木修は立ち上がった。競技場を走るアスリートのような機敏な動きだ。隣の円テーブルに歩み寄り、挨拶をしながらビールを注ぎ始める。

と、そのとき、「会長!」と、鈴木オートの鈴木三千が、発泡スチロールの箱を抱えて鈴木修を呼び止めた。

「覚えてますか。21年前にホテルDで新年会をやったときにお会いした鈴木です」
「おお……」

鈴木修はビール瓶をテーブルに静かに置くと、おどおどと話しかけた鈴木三千の目を正視しながら、右腕を筋肉質の三千の右腕に絡ませていく。短い沈黙が過ぎ、「会長、海鞘好きだったから、早起きしてうまそうなの買ってきたんだ」と、三千は足下に置いたばかりの発泡スチロールに目をやる。

「思い出したよ。麻雀部屋にいた鈴木さんだね。海鞘をごちそうしてくれた」
「あっ、やっぱり覚えていてくれたんだ。21年ぶりなのに」
「当たり前だよ。忘れてないよ」

弾けるように三千が白い歯を見せたときには、固い握手が交わされていた。それにしても、21年前の小さなやりとりの記憶を、一瞬にして蘇らせる鈴木修とは、本当は怪物なのか……。人間業とは思えない記憶力である。

「ご飯とタクアンさえあれば、死ぬ気で働く」

三千によれば、1980年の正月、鈴木修は鮑などの高級品には見向きもせず、海鞘をいかにもおいしそうに食べたのだそうだ。その際、名前を聞かれたので名乗ったが、メモを取るでもなかったのに、数日すると印刷された新年会出席の礼状の余白に、直筆でお礼が認められていた。感激した三千は、それまでホンダ車を中心に売っていた店を、スズキ車専売に切り替えた。また、お礼の書は、額に入れ居間にずっと飾り続けた。

「修さんが来なかったら出席しなかった。修さんは友達だから」

と三千は語る。

ライバル社の営業幹部は、スズキの強さの源泉を次のように解説した。

「スズキの業販店の父ちゃんや母ちゃんたちは、ご飯とタクアンさえあれば、あとは鈴木修のために死ぬ気で働く人たちだ。我々は、ディーラー社員に退職金や社会保険、年金などを手当てするため、どうしてもコストが嵩む。しかしスズキにはそれがない」

ビール瓶を片手に円テーブルを回る鈴木修は、業販店主にとってまさにアイドルだ。

老若男女を問わず、握手を交わし、時には業販店の夫人を強く抱き締める。一緒の記念写真を何回も所望され、会場内はストロボの閃光だけで盛り上がる。笑いと喜び、ひとときの安らぎ、そして感動が渦になって増幅されていくが、渦の中心には鈴木修がいつもいる。

軽自動車のような価格の安い商品は、営業マンを抱えるディーラーが売っても儲けは出しにくい。つまりスズキと業販店は運命共同体だ。両者に資本関係はないが、資本の論理を超えた鉄の結束がある。この二者を結ぶのが「人間」鈴木修なのである。