45歳、エルバ島行きを目前に毒薬を口にした
死ぬのも楽じゃない
ナポレオン(皇帝)
英雄の代名詞ともされるナポレオン。彼の人生は栄光と挫折の繰り返しだった。
コルシカ島の小貴族の家に生まれた彼は、フランス革命が起きた段階では、まだ一介の兵士にすぎなかったが、やがてイタリア遠征などで頭角を現し、最終的には皇帝の座に上り詰める。
数々の戦勝によってヨーロッパの多くを手中に収めたナポレオンだったが、ロシア遠征に失敗すると、徐々に状況は悪くなる。やがて諸国民戦争に敗れた彼は皇帝の座から降ろされ、エルバ島へと流されることとなった。その時、ナポレオンはまだ45歳。政治家として軍人として、まだまだ働き盛りの年齢だった。
権力も財産も、すべてを奪われた彼の胸元には、小さな絹の袋が下がっていた。毒薬である。
配流地エルバ島行きを目前に控えたある夜、ナポレオンは、ついにその毒薬を口にした。
激しい痛みが彼を襲う。愛する妻への手紙を側近に手渡すと、痛みは一層強くなった。その時、彼の口から出たのが
「死ぬのも楽じゃない」
の言葉だったという。
「もう一度、ひと花咲かせよう」
かつてのナポレオンは、軍事の天才としての名声をほしいままにしていた。少々大げさに表現すれば、多くの戦いは英雄にとって「楽勝」ものだった。しかし、ロシア遠征に失敗してからは、立て続けに敗戦を経験。戦争に従事することは「楽なこと」ではなくなっていた。
政治家としてもナポレオンはいくつかの功績を残した。法律を整備し、「ナポレオン法典」の名が刻まれた。もはや政治は彼の意のままだった。しかし、戦争に敗れた後は、すべての政治的権力を奪われた。政治家の地位に安住することはできなくなってしまった。
そんな彼が、唯一手にすることのできた自由。それが自分の意志で死を選ぶことだった。
しかし、死に至る道は楽ではなかった。激しい腹痛、嘔吐に長い時間悩まされた。ナポレオンの愚痴をもう一度読み返してみよう。
「死ぬのは楽じゃない」ではない。
「死ぬのも楽じゃない」だ。敗戦と失脚を経験した彼にとって生きることは辛いことの連続だった。しかし、死に至ることは、それに匹敵するくらいの苦であることを彼はこの時知ったのだ。その後、結局蘇生し、服毒自殺は失敗に終わる。
やがて、エルバ島に流された彼が選んだのは、「死」ではなく、「生」だった。エルバ島を脱出し、再び、権力の座に就こうとしたのだ。結果は「百日天下」に終わるのだが、死出の旅に失敗し愚痴をこぼした45歳のナポレオンは、この時、
「もう一度、ひと花咲かせよう」
と心に決めたのである。