本業とアルバイト3つを掛け持ちするテレビ番組ディレクター
好きを仕事にすることは簡単だ。サッカーが大好きな場合、プロサッカー選手になるのは至難の業だけど、関連メーカーやスタジアム、チーム運営会社に就職するという手がある。チームのスポンサー企業で担当者になれば、最も良い立場で選手や監督と向き合えるかもしれない。
ただし、好きを仕事にし続けるのは難しい。大企業では自分が望む部署で働けるとは限らないし、フリーランスや中小企業の場合は家族を養うに足る報酬を安定的に得られなかったりする。労働条件が過酷な場合も少なくない。
名古屋市内にあるテレビ番組制作会社で働く岡本雅美さん(仮名、35歳)は結婚願望がなく、独身一人暮らしを満喫している。週末は具だくさんスープを作り置きするが、基本的には「外で働いていないと風邪をひく」体質らしい。正社員として制作業務に従事しつつ、スナックのホステス、結婚式場の洗い場バイト、アパレルショップの品出しバイトを掛け持ちしている。
岡本さんは関西出身。昨年の春までは大阪にある同様の制作会社で12年間も勤務していた。名古屋での今も業務内容はほぼ変わらないので、転職というより転社である。慣れ親しんだ地元を離れて一人で名古屋にやってきたのはなぜか。金銭面や労働環境が理由ではないようだ。
同期の多数が離職。雑用だらけの1年目を支えた「裏方」への想い
「高校時代から映画が大好きで、週に2回は映画館に行っていました。演じる側ではなく、輝いている人たちを支える裏方として働きたいとずっと思っていたんです。映画関係の仕事は狭き門だけど、テレビ業界にまで幅を広げて就職活動をしました」
やや甲高い声で早口で話す岡本さん。アイデアがあふれてきて、口に出しながら思考を展開するようなタイプだ。いかにもテレビ業界向きな気がするが、テレビ局は映画会社と同じぐらい狭き門である。有力な子会社も含めて入社を志す人は多い。苦戦した岡本さんはファッションも好きだったので一時はアパレル会社への就職も考えた。
「でも、諦めきれませんでした。父親の知り合いの紹介で、女性が多く働いている制作会社に入ったのが2013年の夏です」
その会社は社長が一代で創り上げた独立系で、40人ほどの社員のうち女性が半数以上を占める。ただし、働き方は昔ながらのものだった。
「最初のうちは実家から通っていましたが、終電でも帰れないことが多いのですぐに会社近くで一人暮らしを始めました。24時過ぎまで働いても翌朝7時集合は当たり前で、1年目はひたすら雑用。良くても番組のスケジュール管理や資料作りしかできません。専門学校で自主制作映像を作っていたりした人たちは『思っていた仕事と違う』と幻滅したみたいです。同期入社6人のうち、2年目に残っていたのは私ともう一人だけでした」
もともと裏方志望の岡本さんは下積み生活に不満はなかった。体力には自信があり、寝る暇がないほど働くことも苦ではなかった。
残業代ゼロに強制飲み会。理不尽な上司とかみ合わない日々
華やかな世界がとにかく好きな岡本さん。大阪で所属していた制作会社はコンサートのステージ進行やライブDVDの仕事も請け負っていたため、各テレビ局のスタジオやロケ地だけでなく多様な現場に出向くことができた。
「裏方はつらいことや悲しいことが多いです。でも、その積み重ねでみんなが感動するような作品ができたときの達成感は半端ないです。苦労が一瞬のうちに報われて、また頑張ろうと思えます」
そんな岡本さんだが、「理不尽だ」と感じたりプライドを損なうことが続くと当然ながらストレスがたまる。中小企業の場合、相性の悪い上司がいたりすると逃げ場がない。岡本さんの場合、取締役の40代男性とは入社当時からギクシャクしていた。
「たまに早めに仕事が終わっても、といっても夜10時ぐらいですけど、上司が『(経費で)飲みに行くぞ』と言ったら全員参加の雰囲気なんです。私は入社当初は実家暮らしだったので参加を断ったら、『協調性を持ちなさい。輪の中に入らないとダメ』と叱られました」
今年50歳になる筆者は、岡本さんが「協調性おじさん」とやゆする取締役が言いたいこともわかる。普段は各現場でバラバラに働いている社員の親睦会を兼ねての飲み会なので、若手こそ積極的に参加してほしいのだろう。ただし、ダメ出しをされながら参加しても楽しいはずはなく、親睦も深まらない。強制ではなく、「楽しいよ。よかったらどう?」と優しく声をかけるべきなのだ。
ちなみに岡本さんが働いていた会社には残業代という概念はなく、有給休暇は誰も取得しない。ボーナスは60代の社長が選んだ「豪華プレゼント」からの現物支給。良くも悪くも家父長制的な社風といえるだろう。
ディレクターからまさかのAD逆戻り。積もり重なる上司への「恨み」
岡本さんは入社してすぐに情報番組のアシスタント・ディレクター(以下AD)になり、一番下の立場で4年間働いた。その間に唯一の同期社員が別の番組でディレクターに昇格。下積みをいとわない岡本さんだが、競争心も向上心もある。いつまでも後輩が入ってこない状況に、プロデューサーである例の取締役への不満が募っていた。番組内のコーナーが刷新される際、「岡本さんにディレクターをさせてあげたら?」と言ってくれたのは取締役ではなく、レギュラー出演者のベテランお笑い芸人だった。
「5年目にしてようやくディレクターとしてデビューできたんです。でも、また別のコーナーを担当することになったらADに戻されました」
そんなときにアシスタント・プロデューサー(AP。出演交渉やスケジュール管理、予算管理などをプロデューサーの代わりに行う)の女性が産休に入ることになり、そのフォローを頼まれた。岡本さんは喜んで引き受けたが、プロデューサーである取締役から「お前がなりたいのはディレクターなのかそれともAPなのか!」と注意された。
「ディレクターになるきっかけをなくしたのはあなたなのに、私が自主的にやりたい仕事まで取り上げるのか、と怒りを感じました」
岡本さんが会社を辞めるのはそれから7年後のことである。上司の言葉遣いと自分の感情まで覚えているのだから、恨みというものは恐ろしい。
「オレ、知らん」社長の無責任な一言で決意した12年目の転職
紆余曲折を経て、岡本さんは念願である「準キー局の朝の帯番組のディレクター」になれた。入社8年目のことだった。しかし、今度はその局のプロデューサーと衝突してしまう。
「40代以降をメインターゲットにしている番組ですが、取り上げるネタがとにかく古臭いんです。今の大人はそんなものを求めていないはずなのに……。私がやりたいネタを何度も否定されて、正解がわからなくなってしまいました。好きなはずのVTR作りもまったく楽しくなくなり……」
岡本さんの様子と番組の仕上がりを見ていたのが例の取締役。「熱が入っていない気がする。1年やったんだから番組から降りてもいいんじゃないか」と助け舟を出してくれたという。
「仕事だから文句を言っちゃいけないと思っていたので、すごくうれしかったです」
しかし、実際には後任者がいないという理由でなかなか降板できなかった。岡本さんは納得できない気持ちで4年も働き続ける。そして、同じ番組で別のコーナーを担当していた同期社員が先に抜けると聞いて、堪忍袋の緒が切れた。降板したいと何度も主張していたのは自分のほうだと社長に訴えた。
「でも、社長は『オレ、知らん』の一言。自分が持ってきた仕事なのに……。そのまま帰宅して2日間は出社しませんでした。そして、すぐに転職サイトに登録しました」
格上の会社へ転職。年収アップと残業代・有休が支給される安心感
新卒入社の会社への愛想が尽きた岡本さん。何事もなかったように働きながら、「格上の会社」への転職機会を探した。
「格下の制作会社に転職するとわかると、上司や先輩から必ず引き留められるからです」
愛想が尽きた会社の同僚の声などは無視してよいと筆者は思うが、猛烈な働き方を求められる環境では視野が狭くなる。新卒入社の会社だとなおさらだ。業界の価値観が自分の中での基準になってしまう。
それでも岡本さんは運が良かった。名古屋にある準キー局の子会社から声がかかったのだ。
「従業員が150人もいる制作会社です。大手の子会社は機械的だというイメージがありましたが、思ったよりもアットホームで、その点は前の会社に似ていると思いました」
年2回のボーナスを含めると年収は1割程度アップし、残業代も出て、有給休暇もきっちり取得できる。もちろん、ディレクター職での採用だ。大阪を離れること以外にデメリットはない。
「地元は大好きですが、33歳になっていたので一度は出てみるのもいいかもと思いました」
転職してからの岡本さんは「街頭インタビューになかなか答えてくれない」名古屋人に戸惑いを覚えつつも、生活に余裕が生まれたと実感している。10時出社で18時退社の毎日で、取り上げる話題も東海三県に限られているからだ。
反発と意地でつかんだ豊かな暮らし。「裏方の裏方」という新しい生き方
「会社まで歩いて5分のところに住んでいるので起床は9時でも間に合います。泊まりの出張もほとんどありません。朝の天気番組を担当するときは3時半出社ですが、フレックス制なのでその日は12時に退社。エステやネイル、パーソナルジム通いなど、以前よりも自分を豊かにできています」
余暇を使って副業にも精を出している岡本さん。同じ労働でも、裁量労働制という名の下で長時間労働を強いられるのとは気持ちが違うのだろう。では、本業のディレクター職では何を目指しているのだろうか。
「テーマは何でもいいんです。下調べをするのが好きだし、ロケスケ(ロケスケジュール)作りは張り切ります。旅のしおりみたいにイラストを付けて、スタッフや出演者に「このロケを楽しそうだ」と思ってもらいたいです。決まった予算の中で季節感のある小道具を探して演出を助けたりするのも好きですね」
今回の話だけを聞くと、岡本さんはディレクターではなくAD職を極めたほうが向いている気がする。漫画家を支えるプロアシ(プロアシスタント)のような働き方だ。テレビ業界でプロADが存在するのかはわからないが、何かを作りたい人をサポートする「裏方の裏方」も立派な仕事だと筆者は思う。
大阪の制作会社から名古屋の制作会社に移籍した岡本さん。自分をちゃんと認めてくれない会社への反発と意地が原動力になった。その行動は吉と出て、今は経済的にも精神的にもゆとりを持って働けている。岡本さんが自らの職業に本当に向き合うのはこれからなのだ。その先に、ロマンを求めた2回目の転職があるかもしれない。