織田信長が天下統一の拠点とした岐阜城は、「難攻不落の名城」として知られている。だがこの城には弱点があり、わずか1日で陥落してしまう。なぜ信長はこの城を拠点としたのか。偉人研究家で著述家の真山知幸さんの著書『ウソみたいだけど本当にあったへんな城』(彩図社)より、一部を紹介する――。(第2回)
信長が攻め落として手に入れた岐阜城
岐阜城
難攻不落と謳われながら何度も落城した山頂の城
美濃を制すものは天下を制す――そう言われたほどの要衝に建つ、岐阜城。
険しい金華山の山頂にそびえる姿は「難攻不落の名城」として知られるが、実は歴史上何度も落城している。その理由を探ると、意外な弱点が浮かび上がってくる。
岐阜城はもともと「稲葉山城」あるいは「井口城」と呼ばれ、鎌倉時代以来の歴史を持つ。本格的に整備されたのは戦国時代、斎藤道三の時代だと考えられている。
永禄10(1567)年、織田信長が斎藤龍興から奪取して改修。「岐阜城」に改名した。
「岐阜」という名は、一説には尾張国の政秀寺の僧・沢彦宗恩が挙げた三つの案から信長が選んだもの。
古代中国で周の文王が岐山より興り天下を平定したという故事にちなんでいるという。信長はこの頃から「天下布武」の朱印を用い、本格的に天下統一を目指すようになった。

