織田信長が天下統一の拠点とした岐阜城は、「難攻不落の名城」として知られている。だがこの城には弱点があり、わずか1日で陥落してしまう。なぜ信長はこの城を拠点としたのか。偉人研究家で著述家の真山知幸さんの著書『ウソみたいだけど本当にあったへんな城』(彩図社)より、一部を紹介する――。(第2回)
織田信長像、狩野宗秀画
織田信長像、狩野宗秀画(写真=長興寺所蔵/東京大学史料編纂所/PD-Japan/Wikimedia Commons

信長が攻め落として手に入れた岐阜城

岐阜城
難攻不落と謳われながら何度も落城した山頂の城

【◎所在地:岐阜県岐阜市/◎主な城主:織田信長/◎へんな城度:★★★☆☆】

美濃みのを制すものは天下を制す――そう言われたほどの要衝に建つ、岐阜城ぎふじょう

険しい金華山きんかざんの山頂にそびえる姿は「難攻不落の名城」として知られるが、実は歴史上何度も落城している。その理由を探ると、意外な弱点が浮かび上がってくる。

岐阜城はもともと「稲葉山城いなばやまじょう」あるいは「井口城いのくちじょう」と呼ばれ、鎌倉時代以来の歴史を持つ。本格的に整備されたのは戦国時代、斎藤道三さいとうどうさんの時代だと考えられている。

永禄えいろく10(1567)年、織田信長おだのぶながが斎藤龍興たつおきから奪取して改修。「岐阜城」に改名した。

「岐阜」という名は、一説には尾張国おわりのくに政秀寺せいしゅうじの僧・沢彦宗恩たくげんそうおんが挙げた三つの案から信長が選んだもの。

古代中国でしゅう文王ぶんおう岐山きざんよりおこり天下を平定したという故事にちなんでいるという。信長はこの頃から「天下布武てんかふぶ」の朱印を用い、本格的に天下統一を目指すようになった。