厚労省が2024年5月に公表した「令和4年生活のしづらさなどに関する調査」によると、18才以上で発達障害と診断された人が増加している。国際ジャーナリストの堤未果さんは「その背景に、ADHDの診断基準が緩められているという指摘がある」という――。

※本稿は、堤未果『堤未果の「すばらしい新世界」』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

錠剤とコップ一杯の水を持つ手
写真=iStock.com/Stefan Simonovski
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“やんちゃな子”が「脳に問題ある子」に

1990年代、うつ病と並行して、アメリカを中心に爆発的に診断数が増えたもう一つの精神疾患があった。

1987年に米国精神医学会の『精神疾患の診断・統計マニュアル(DSM)』に初めて病気として加えられた、ADHD(注意欠如多動症、注意欠陥多動性障害などとも呼ばれる)だ。

抗うつ剤のプロザックが「悲しみを消すソーマ」ならADHD治療薬のリタリン(メチルフェニデート)は、「多動や好奇心を抑え込むソーマ」だろう。

かつての学校では「やんちゃ」「個性的」と大目に見られていた子供たちがいた。「じっと座っていられない」「教師の指示に従えない」「興味のないことにはまるで集中できない」そういう子たちだ。効率性ファーストの新自由主義が教育現場に浸透するにつれ、彼らは「脳に機能不全を抱える子」として再定義されてゆく。

リタリンを飲ませると、驚くほど静かになり、反復的な作業に集中できるようになる。親や教師たちは、救われた気分になった。

だがここで、ある問いが宙に浮いたままになっている。

「そもそも、人間が8時間も机に縛りつけられること自体が不自然ではないか?」

集中できないなら「薬を飲みなさい」

この問いは一部の大人たちによって投げかけられたが、「集中できないあなたが悪い。だから薬を飲みなさい」というプロザックと同じ自己責任論の前にかき消されていった。

子供の「問題」は、子供の脳が原因だとされ、教室の構造や栄養状態、画一的な学習環境への問いは、処方箋一枚によってなかったことにされたのだった。

だが、リタリンの普及とADHDの製薬会社による親や教師への大規模なマーケティング、診断基準の拡大は、90年代から21世紀初めにかけて、異常事態を引き起こす。

1990年からわずか5年で、リタリンの主成分メチルフェニデートの生産量は5倍以上に増加した(米連邦麻薬取締局生産割当データ、1990~95年)。幼児への処方も急増し、2000年代初頭には2、3歳児への投与の増え方が医学誌で問題にされるほどだった。

この背景には、新自由主義的教育政策と巨大化する製薬業界、そして親たちの不安がある。

1991年、「障害者教育法(IDEA)」の運用通達により、ADHDが公教育の支援対象として認められると、落ち着きのない子供の親に精神科受診を勧めることが、競争原理の圧力にさらされる学校側にとって合理的な選択肢になった。

子供たちの学力テストの成績が学校予算に直結する仕組みの下では、「授業の妨げになる子」は早急に「対処」すべき存在になるからだ。