※本稿は、堤未果『堤未果の「すばらしい新世界」』(集英社新書)の一部を再編集したものです。
安楽死を拡大して160億円を浮かせるカナダ
2020年10月。
カナダ議会予算局が提出した一通の報告書が、議事堂を凍りつかせた。
そこに書かれていたのは、死が間近でない患者にまで安楽死を拡大することで、本来かかるはずだった「終末期ケア」のコストが浮き、年間最大1億4900万カナダドル(約160億円)の医療・社会保障費が削減できるという試算だ。
議会という場で、「死」が倫理の問題から「コストの問題」に引きずりおろされた瞬間だった。
人間の「尊厳」への配慮が消え、社会保障という巨大なダムの決壊を防ぐための、効率的な排出口であるかのように。
一部の議員からは、「命に値札をつけるのか!」「予算節約のために、国民が受けるケアの代わりに死を売りつけるのか!」などの怒号が飛んだものの、オルダス・ハクスリーが1932年に書いたディストピア小説『すばらしい新世界』の管理官たちがそうだったように、当局は至って冷静だった。
「これは医療サービスの節約になるのだ」
イヴ・ジルー予算局長が説明する淡々とした口調は、国家にとって、高額な長期ケアや福祉サービスを提供するより、安楽死という「出口」を提示する方が、遥かにコストパフォーマンスが良いという結論を代弁していた。
社会の歯車として機能しない個体の排除
一方この試算に肯定的な与党自由党は「安楽死は医療サービスの一部だ」とし、コスト削減のために死を勧めるわけではないが、結果として予算が節約されることは、持続可能な公的医療制度にとってプラスである」と賛成、一部の野党は「個人の選択権が重視されるべき」というリベラル持論で擁護した。
この話の最も恐ろしいところは、議会内で賛否が分かれたことでなく、いつの間にか安楽死法に関する議論の前提が「財政的合理性」にすり替わっていたことだろう。
予算局の出したこの報告書の上で、慢性疾患や障害を抱える人々が「削減可能なコスト」としてカウントされた瞬間、ハクスリーが描いた「社会の歯車として機能しない個体の排除」は、政府の公式な正解(エビデンス)へと、昇格したのだ。
そして2021年3月、カナダという国はついにルビコン川を渡った。
死が間近でない障害者や慢性疾患を持つ国民にも「安楽死」の扉を開いたことで、かつてトルドー首相が熱弁した「慈悲」や「選択の自由」といったものが、合理的な「個体の選別」へと変わったからだ。


