「社長の言うようにならへんやないか」
「ずっとモヤモヤしていました」
自分の30代についてそう打ち明けるのは、焼鳥居酒屋「鳥貴族」を25歳で創業した大倉忠司氏だ。全品390円均一価格で人気を集める鳥貴族は、いまや海外29店を含む1185店舗(※)を展開し、東証プライムに上場している。また今期は売上528億円、営業利益34億3000万円を見込んでいる。
だが、その道のりは順風満帆ではなかった。地元・大阪を出て県外に初進出したのは2002年、大倉氏が40代に入ってから。上場は2014年、50代である。大倉社長が30代だった時代の鳥貴族は、まだ大阪の小さなチェーンにすぎなかった。
本企画では、成功を収めた経営者や著名人に「自分の30代」を振り返ってもらう。成功談だけでなく、挑戦と失敗、壁をどう越えたのか。リアルな人間ドラマに迫る。
※2026年6月末時点
――25歳で創業された大倉社長にとって、30代はどんな時期だったのでしょうか。
【大倉】30代半ばくらいまでは、自分の思うように出店も成長もできなくて、ずっとモヤモヤしていました。「全国チェーンを作ろう」と夢を語って人を集め、入社してくれた若手が「社長の言うようにならへんやないか」と、辞めていったこともあります。
どうしても諦められなかったワケ
――掲げたビジョンと、現実に差があったということですね。厳しい局面を乗り越えられた一番の要因は何だったのでしょう。
【大倉】やっぱり、しつこく諦めなかったからでしょうね。
「絶対にやってやる」という意地がありましたから。でも、それ以上に大きかったのは、1号店でアルバイトだった2人の存在です。僕の夢を信じてついてきてくれて、のちに専務と常務になった。その2人がいる限り、自分が先に諦めるわけにはいかない。立ち止まることも、投げ出すこともできなかったです。前に進むしかなかった。いま思えば、それが一番の原動力でした。
――モヤモヤしていた時期に、「これはやっておいてよかった」と思えることはありますか。
【大倉】二つあります。一つはマニュアルを作ったことです。多店舗展開していくなかで、マニュアルがなければやっぱり店舗ごとにブレが生じてしまいます。ですから調理と接客の手順を、専務を中心に作り込みました。こうした「仕組みづくり」が、その後の成功につながったのだと思います。

