中国史には、権力を得るために大きな犠牲を払った人物が数多く登場する。予備校講師で世界史YouTuberの鈴木悠介さんの著書『R18世界史』(扶桑社)より、則天武后と宦官について紹介する――。

中国史上、唯一無二の「女帝」

動物の世界には「獅子は我が子を千尋せんじんの谷に落とす」という習慣があります。これは親の愛ゆえの試練ですが、権力者は野望や保身のためなら、生まれたばかりの我が子の首を絞めて殺すことすら厭いといません。

中国四千年の歴史において、女性で正式に皇帝となり、国名まで変えた人物はただ一人、則天武后そくてんぶこう(武則天ぶそくてん)だけです。

彼女は天才的政治家として国を豊かにしましたが、その玉座への階段は文字通り死体の山で作られていました。きらびやかな後宮で起きた究極のサイコ・サスペンスと、中国史の最も深い闇を覗いてみましょう。

『百美新詠図伝』に登場する武則天。顔希源筆
『百美新詠図伝』に登場する武則天。顔希源筆(写真=CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

皇帝の娘に手をかけたのはまさかの…

舞台は7世紀の唐とうの時代です。武則天は元々、名君として名高い第2代皇帝・太宗たいそうの側室でした。当時のルールでは子どものいない側室は皇帝の死後、尼寺に出家させられます。

しかし彼女は諦めず、太宗の息子である第3代皇帝・高宗こうそうの心を摑み、奇跡のカムバックを果たします。父の愛人と関係を持つという、儒教的倫理観では近親相姦に近い大スキャンダルを乗り越えてのことでした。

後宮には正妻の王皇后おうこうごうと、高宗が寵愛する蕭淑妃しょうしゅくひという強力なライバルがいました。武則天は皇后の座を奪うため、誰も思いつかない恐ろしい自作自演の罠を仕掛けます。

ある日、彼女は高宗とのあいだに女の子を出産しました。ライバルである王皇后も表向きはお祝いをしなければなりません。王皇后が赤ん坊の顔を見に武則天の部屋を訪れた直後、武則天は自らの手で我が子の首を絞めて殺害します。

その後、高宗が冷たくなった我が子を発見すると、武則天は半狂乱になって泣き叫びました。直前に部屋を訪れたのは王皇后だけであり、「まさか実の母親が我が子を殺すはずがない」という人間の良心が、武則天の完璧なアリバイを作ります。王皇后は廃位に追い込まれ、我が子の命という大きすぎる代償と引き換えに、彼女は後宮の頂点に立ったのです。