一時期、とても流行した「それってあなたの感想ですよね?」というフレーズは、多方面から批判された。岩手県立大学総合政策学部准教授の杉谷和哉さんは「数字やデータだけで全てがわかるわけではない。そればかりを重んじると見えなくなるものがある」という――。

※本稿は、杉谷和哉『エビデンスの罠 数字と物語に囚われない思考法』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

分析レポート
写真=iStock.com/tadamichi
※写真はイメージです

京都大の自治寮「吉田寮」の入寮選考

筆者は、京都大学大学院人間・環境学研究科に在籍していた頃、「吉田寮」という自治寮に居住していた。

自治寮とは、運営を寮生によって構成される自治会が主体的に担う寮のことを指す。京都大学吉田寮は、日本最古の現役学生寮として知られ、自治寮としても長い歴史を誇る。具体的には、入寮選考、寮内のトラブル処理、衛生管理など、通常であれば管理会社が行うような業務を、全て寮生自身が担うのである。楽しい面もあるが、大体の場合は面倒で大変な仕事である。当然、誰もが前向きに頑張るわけではない。サボる人間もいれば、何やら無駄に力が入って、かえって事態がややこしくなるケースも珍しくなかった。

それでは、自治寮の価値はどこにあるのだろうか。筆者が在寮していた経験から言えば、入寮選考における自治の力は極めて大きかった。たとえば、入寮選考の際には、親の年収などを一応、参考にしているが、そこまで重視しない。どれだけ親の年収が高かったとしても、親との関係が悪く、一切経済援助を受けられない学生もいるからだ。こうした学生にとって、安価に居住できる寮は、大学での学びを支える重要な存在である。一人暮らし用の高価な部屋を借りてしまうと、アルバイトで日々を費やしてしまうからだ。

親の年収という数字を額面通りにしか受け取らないエビデンス主義では、学生のこうした事情を勘案するのは難しい。

単なる「安価な居住スペース」ではない

吉田寮に居住して得られるのは、安価な居住スペースだけではない。そこには、さまざまな学問を学ぶ学生が集まっており、日夜、お互いの学問について議論を交わすことができる。

また、研究がうまくいかずに気分が落ち込んでいるときは、適当に買ったアルコールを持っていくと、一緒に他愛もない話をしながら飲んでくれる人がいる。落ち込んでいる、悩んでいる人を見かけると、話を聞き、場合によっては解決に向けて皆で動く。一緒に住んでいることで、お互いの経験を共有する機会が多く、親近感も湧いてくる。言うなれば、お互いを気にかけ、思いやりを持って接することができる。このような共同体は時に、「ケアのコミュニティ」と呼ばれるようだ。

本書を執筆している2025年現在、吉田寮と京都大学当局の間で行われていた裁判が和解に至った。詳しい経緯については紙幅の関係もあるので詳述しないが、この間の裁判を見ればわかるように、大学当局と寮の双方に、それぞれの言い分がある。ただ、寮が作り上げてきた自治空間やその機能のポジティヴな側面を、大学当局が正当に評価しているとは言い難いのは確かだ。

大学側の思惑についてはさまざまな風聞があるが、本筋から逸脱してしまうので、ここでは本格的な論評を避けよう。いずれにしても、そこに生きている人々の営為を顧みない大学当局のやり方は、褒められたものではない。