大学が学生自治を認めたがらない理由

こうした村上の理路に目をやった時、筆者の胸に去来するのは、最初に示した吉田寮での思い出に他ならない。大学が学生自治を認めたがらず、全てを管理してしまいたいと考えている欲望の根元には、大学ランキングなどといった、学知の序列化の中で落伍者にならないようにしようとする必死さがあるのかもしれない。

あるいは、京都大学が名乗りを上げている、「国際卓越研究大学」の事業も関係しているだろうか。「国際卓越研究大学」とは、文部科学省が設立した10兆円規模の大学ファンドからの支援を受けるプログラムで、認可された場合にはさまざまな改革メニューを実行する必要がある。大学の管理が及ばない自治寮を放置していることは、このプログラムの認可にとってマイナスに働くと大学の上層部は考えているのかもしれない。

寮を潰し、その敷地内に効率的な運営を主眼においた管理寮を設置すれば、文部科学省からの評価も上がるだろう。個別性を軽視し、エビデンスに基づいて何もかもを決めてしまおうとする「エビデンス社会」の問題点は、個々の学生の生き方にも大きな影響を及ぼしうる重要なものなのである。

京都大吉田寮の「現棟」=2026年3月19日、京都市左京区
写真提供=共同通信社
京都大吉田寮の「現棟」=2026年3月19日、京都市左京区

政策の良し悪しを判断するときの基準

エビデンスによって全てを動かそうとする社会は、数字には表れない社会の繊細な部分を台無しにしてしまう可能性がある。こうした問題は、たとえば我々が公共政策をどのように評価しているかという点とも関わっている。たとえば、ある政策の良し悪しを判断する際に、我々は何を基準にするだろうか。

一般的に言って、政策評価において基準とされるのは、「効率性」であったり、「有効性」であったりすることが多い(※3)。前者は、いわゆる「コスパ」に該当するもので、投入した資源と、得られた成果の比率を通じて算出される。

投入されたコストが少なく、得られた成果が大きいのであれば、その政策は高く評価される。これに対して後者は、その政策にどれだけ効果があったのかに着目する。今日流行しているEBPMは、この「有効性」に主として着目し、政策の改善を図らんとしているのである。

「効率性」も、「有効性」も、それぞれ政策の基準として有用であるため、政策評価において重宝されてきた。ただ、やや専門的なことを言えば、「効率性」に比べて「有効性」の方は追究が難しく、高度な統計分析や実験など、大掛かりな作業が必要である。「効率性」も、高い専門性を要求するのは変わらないが、「有効性」とは違い、いわゆる「コスパ」のように、表面上の数字を用いれば、体裁だけは整えることができる。

※3 杉谷(2024:84-87)