ハーバード留学で自信を失ったが…

――その後、32歳でハーバード・ビジネス・スクール(HBS)に留学します。

留学に興味を持ったきっかけは、20代の頃に中国で一緒に仕事をしていた先輩です。MIT(マサチューセッツ工科大学)でMBA(経営学修士)を取ったものすごく優秀な方で、「どうしたらこの人を追い越せるんだろう」と仰ぎ見るような存在だった。

その先輩が「HBSだけは別格だ」と言うんです。「資本主義の陸軍士官学校」と呼ばれるほど厳しいプログラムを組んでいる、と。尊敬する先輩が言うのなら、そのいちばん厳しいところへ行ってみたいと興味がわきました。

――実際に入ってみて、いかがでしたか。

想像した以上に厳しかったですね。周りはアイビーリーグ出身の優秀な人たちばかり。彼らと毎日のように競争させられます。

入念に準備して「今日こそは絶対発言するぞ」と授業に臨むのですが、手を挙げてもぜんぜん当ててもらえない。“空振り”が続くと気持ちがものすごく萎えるんです。成績が下位の10%は自動的にキックアウト(退学)される仕組みになっているので、毎日がプレッシャーで……。一時期は完全に自信を失いました。

30代当時の大本氏。トルコ・マルマラガス焚きIPP事業の建設現場にて
写真提供=丸紅
30代当時の大本氏。トルコ・マルマラガス焚きIPP事業の建設現場にて

「フットノート(脚注)・マサ」と呼ばれ

立て直すきっかけをくれたのは、別の商社から派遣されていた先輩から「ここはアメリカだ。今日の失敗はもう過去のこと、明日の準備だけに集中することだ」と伝授してもらったこと。その言葉で「終わったことは仕方ない」と前を向くことができました。そこからは次の授業の準備だけに集中して、毎朝7時から夜2時まで一日も休まずに机に向かっていました。

1回の授業で当てられるのは、90人ほどの教室で30人ほど。つまり3回に1回しか回ってきません。その頻度を増やすには「あいつは議論が行き詰まったときに当てればいつでもファクトを出してくれる」と教授に印象づけること。そのために、教材の資料は脚注まですべて読み込み、頭に入れました。仲間からは「フットノート(脚注)・マサ」とからかい半分の“称号”をもらいましたが、それは平凡な能力しかない私なりの戦い方でもあったんです。

その結果、ベーカー・スカラー(卒業クラスの成績上位5%に与えられる最高位の学業表彰)には届かなかったけど、卒業式ではディスティンクション(優等)の学位を学長から手渡してもらえた。平凡な日本人でも、正しい考え方と規律さえ揃えば米国のエリートと渡り合える。そんな自信と、「明日だけに投資する」というマインドセットを得られた2年間でしたね。