F1に参戦する11チームの一つを率いる日本人がいる。「TGRハースF1」代表の小松礼雄さん(50)だ。数学偏差値35、英語も話せないまま18歳で単身渡英。2024年、日本資本ではないF1チームで日本人初の代表に就任。同年、チームはF1から撤退したトヨタのモータースポーツ部門と技術提携を結んだ。理数系の才能に恵まれなかった少年は、いかにして豊田章男会長から「諦めた夢」を託される存在になったのか。ニールセンスポーツジャパン代表の松永裕司さんが聞いた――。(前編)
初めてF1チーム代表になった日本人
世界最高峰の自動車レース、F1。その門戸は著しく狭い。
2026年シーズンに参戦するのは11チームで、各チームが2台ずつマシンを走らせる。つまり、レギュラー・ドライバーの座は世界でわずか22人分しかない。2020年に日本人として初めて国際自動車連盟(FIA)の最優秀新人賞に選ばれた角田裕毅でさえ、そのシートを失い、2026年のシーズンを戦う日本人ドライバーはいない。
しかし、11チームを率いる代表の中に、ただひとり日本人がいる。「TGRハースF1」の小松礼雄代表だ。チーム代表とは、マシン開発やレース戦略、人事、組織運営を統括する最高責任者である。
小松は高校卒業後、18歳で単身渡英。ラフバラー大学で車両ダイナミクスと制御の博士号を取得し、エンジニアとしてF1の世界に入り、2024年に日本資本ではないF1チームで日本人初となる代表に就いた。
世界で11人しかいないポストに上り詰めた人物と聞けば、幼い頃から理数系の才能に恵まれたエリートを想像するかもしれない。ところが、小松の出発点は正反対だった。
「数学や物理は偏差値40にも届きませんでした。具体的には35でしたね」
高校時代、数学の偏差値は35。一方、国語は75で「物書きになれるかな」と考えていた少年だった。
「数学はまったくダメでしたが、国語は全く勉強しなくても、偏差値72や75くらいありました。全国模試でも余裕でトップ10に入れるほどでした。自分にはその才能があるから、将来は物書きになると思っていました。当時の私は『才能がすべて』だと信じ、才能のない人間がいくら努力しても絶対に無理だと考えていました」
そんな小松に決定的な影響を与えたのが、中学時代にテレビで出会ったF1だった。


