「人の5倍かかるなら5倍勉強するだけ」
だが、本当の試練は大学進学後に訪れる。少人数のファウンデーションコース(大学予備校)から一転、大学1年では120人の大講堂で授業を受けることに。
「当時の大学には留学生がほとんどいませんでした。120人の大講堂で、外国人はおそらく3人程度。もう危機的状況でしたね」
教授の言葉を聞き取ろうとしているうちに授業はどんどん先へ進む。数学、物理という不得手な科目が、さらに追い打ちをかけた。
「分からないからといって、手を挙げて授業を止めるわけにはいきません。英語を聞き取るだけで精いっぱなのに、内容もまったく理解できない。本当に死に物狂いでした」
同居していた友人は、勉強せずとも頭がいいタイプだった。過去問をひとつ解くだけで、あとは何もしない。
「彼は頭が良いので、一問解くだけですべての本質を理解してしまうんです。私のように本質をすぐに見抜けない人間は、パターンを学習するしかありません。何問も例題を解き続けて、ようやく『こういうことか』とぼんやり見えてくる。理解するまでに、少なくとも5倍、下手をすれば10倍の時間がかかりました」
友人との差を突きつけられても、小松の中に選択肢はなかった。
「私はF1をやるためにイギリスへ行ったのです。数学や物理が分からないからと落ち込んでいる暇はありません。じゃあどうするのか。そこでF1を諦めるのか、という話です。頭が良くないのだから仕方がない。人の5倍の時間がかかるなら、人の5倍勉強するしかないと覚悟を決めました」
苦手だった数学を克服
転機は大学2年を終えた後の実習だった。100社ほど応募して面接に呼ばれたのはわずか2社。そのうちの1社、ロータス・エンジニアリングでマシンのダイナミクスの部署に配属される。
「クルマの動きを理解するためには、シミュレーションモデル、つまり数式モデルを作らなければなりません。そこで数学とクルマが結びついて、圧倒的に面白くなったんです」
1年生の頃はあれほど嫌いだったプログラミングが、好きな対象と結びついた瞬間に姿を変えた。意味の分からなかった「ラプラス変換」も、ある時ふと腑に落ちる。
「それまで嫌いだった数学が、自然を理解するための『言語』でしかないと気がついたのです」
数学は苦役ではなくなった。最終学年の卒業制作では、用意されたリストに興味の持てるテーマがなく、教授に直談判して独自のテーマを認めてもらう。クルマのモデルをゼロから自作し、実証データと突き合わせて検証まで行う、学部生としては異例の規模のプロジェクトだった。
「誰かが作ったものを流用するのではなく、自分でゼロから作るからこそ、すべての構造が理解できます」
答えが用意された穴埋め式ではなく、目的だけを与えられ、そこに至る道筋を自分でデザインする。その過程にこそ学びがあるという確信は、20代前半のこの実習で形づくられた。

