“最下位チーム”を託された代表へ

大学院修了後の2003年、小松はB・A・Rホンダにビークルダイナミシストとして加わり、キャリアの第一歩を刻む。同時期、史上7人目の日本人F1ドライバー佐藤琢磨が在籍していた。佐藤はその後、インディ500を二度制覇。日本人としてもっとも成功したドライバーのひとりである。

ここでタイヤやダイナミクスのエンジニアとしての実績を積み、2006年にルノーF1へ移籍。ミシュランからの評価を経て、2011年にはレースエンジニアとしてヴィタリー・ペトロフを担当。2012年にチームがロータスへ改称されると、才能はあるが荒れたドライバーとして知られたロマン・グロージャンのレースエンジニアを任される。

度重なるクラッシュや不祥事を起こしていたグロージャンを地道に支え、エンジニアとしてF1界でその名を知られるようになった。

2016年、グロージャンとともにチーフエンジニアとしてハースF1へ移籍。そして2024年1月、前任のチーム代表ギュンター・シュタイナーの退任を受け、小松は48歳でチーム代表に就任する。こうして前年ランキング最下位に沈んでいたチームの立て直しを託された。

70年を超えるF1の歴史のなかで、日本資本ではないチームの代表を日本人が務めるのは初めてのことだった。就任からわずか開幕第2戦でポイント獲得と、その手腕はすぐに結果として表れ始めていた。

2026年7月4日、F1イギリスグランプリで指示を出す小松代表
写真提供=TGRハースF1
2026年7月4日、F1イギリスグランプリで指示を出す小松代表

「トヨタに良いイメージはなかった」

代表就任からほどなく、小松の元にトヨタのモータースポーツ活動を担うTOYOTA GAZOO Racing(TGR)側から提携の打診が入る。トヨタは2009年限りでF1から撤退し、現在も自前のチームで参戦しているわけではない。では、なぜハースに声をかけたのか。

当時、TGRはイギリスのF1チームであるマクラーレンと協力関係にあった。小松の頭に浮かんだのは単純な疑問だった。

「すでにマクラーレンと一緒にやっているのに、なぜうち(ハース)に声をかけるのか」

率直にぶつけた問いへのTGR側の答えは、思いがけないものだった。マクラーレンは「なかなか人を育てない」、「スポンサーとしか扱ってくれない」という。つまりトヨタ側が技術提携を目的としていたが、それが叶うことはなかった。

2026年1月28日、レギュラードライバーのオリバー・ベアマンと談笑する小松代表
写真提供=TGRハースF1
2026年1月28日、レギュラードライバーのオリバー・ベアマンと談笑する小松代表

「それを聞いて『それなら一緒にやれる』と思いました。我々が求めているものと完全に一致していたからです。単なる資金提供のスポンサーではなく、技術的に協力し合える真のパートナーを求めていましたから」

ただし「当時の私は、はっきり言ってトヨタに良いイメージを持っていませんでした。魅力的なクルマは一つもなかったので」。さらに、かつてのトヨタF1についても「湯水のように資金を使うだけで、何がやりたいのか分からない。悪い意味で『単なる大企業』でしかなかった」と手厳しい。

だからこそ、条件を出した。「ぜひ(豊田)章男さんに会わせていただけませんか」。豊田会長も「業務提携する前に会ってみたい」と応じ、2024年6月、東京での面談が実現する。

2024年10月11日、ハースF1チームとの業務提携を発表した席で対談する小松代表(左)と豊田章男会長(右)。静岡県小山町にて
写真提供=TGRハースF1
2024年10月11日、ハースF1チームとの業務提携を発表した席で対談する小松代表(左)と豊田章男会長(右)。静岡県小山町にて