対面して感じた“豊田章男の後悔”
そして小松はこの時、トヨタのF1参戦、撤退についても「日本のメーカーは行ったり来たりしている、そういうことは本当にやめてほしい」と直言した。
1時間の面談で、豊田会長は自らの言葉で、かつてのF1撤退の経緯についても答えてくれた。就任直後の社長として下さざるを得なかった苦渋の決断。そして、それによって多くの若者の道を断ってしまったという、消えない自責の念だった。
「章男さんはあの困難な時期に社長に就任されました。当時のトヨタの経営状態を鑑みれば、撤退は社長として下さざるを得ない決断だったそうです。それは本当に苦渋の決断だったようです。若者たちの道を断ってしまったという重責、あるいは後悔のような強い思いがあった。それ以来ずっと『若い人たちの夢を断ち切ってしまった』という自責の念を抱き続けていらっしゃいました」
才能のない分野だから頂点に立てた
物書きになるはずだった少年は、なぜ数学も、クルマの運転すらも「才能がない」分野で頂点を目指すことになったのか。小松自身の分析は明快だ。
「もしF1の道に進まず、そのまま物書きになっていたら、最悪な人間になっていたと思います。『自分には才能があるから書けるんだ』と、うぬぼれた人間になっていたでしょうね」
父からずっと言われ続けた「努力に勝る天才なし」という言葉を、小松は長らく信じなかった。頭のいい父が言っても説得力がないと反発していたからだ。だが、才能のない分野で努力を積み重ねた末に見えた景色は、その言葉を裏付けるものだった。
「たまたま『才能がない分野』を好きになって、本当に良かったと思っています」
偏差値35の少年が世界最高峰の自動車レースの代表であるF1の代表になれたのは、才能があったからではない。才能がなかったからこそ、諦めるという選択肢を持たずに済んだのだ。国語の偏差値75という「才能」に守られていたなら、人の5倍を積み上げる理由など、どこにもなかった。
物書きになるかもしれなかった少年を、F1チームの代表たらしめたのは、その才能のなさだった。



