全力疾走する子グマ見て抱いた不安

案の定、しばらくして遠くからガサガサという音が近づいてきた。息を殺して、獲物が現れるのを待つ。すると、1頭のヒグマがササ藪の上を飛ぶようにして走ってきた。一見して子どもと分かる、

小さなクマだった。

「さっきの銃声は、原田さんがコイツの母親を撃ったんじゃないだろうか。何発も連射したということは、母グマに襲われた可能性もあるな……」

藤部の心に不安が芽生えた。全速力で疾走する子グマが、不意に目の前で止まった。藤部の存在に気づいたのだ。完全に撃てる状況だった。しかし、もし原田がクマに襲撃されていたとしたら、真っ先に救援に向かう必要がある。銃を構えたまま睨み合っていると、子グマはすぐに身を翻して逃げていった。

ヒグマの子
写真=iStock.com/USO
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藤部は無線で原田や仲間に呼びかけた。しかし誰も応えてくれない。このとき、仲間の2人は藤部の電波が届かない場所にいた。そして、原田はヒグマと格闘の真っ最中だったのだ。「無線には、即座に応答せよ」というのは、常々原田自身が仲間に指示していたことだった。普段であれば、すぐに応えてくれるはずだ。

「頼む、なんとか無線に出てくれ……」

祈るような気持ちで呼び続ける。すると数分後、ようやく原田の声が聞こえてきた。藤部は、嫌な予感が的中していたことを知った。

顔は原型をとどめていなかった

アップダウンが激しい山中をひた走る。20分ほどして、ようやく原田の言っていたポイントにやってきた。ブルドーザーが切り拓いた狭い作業道を進んでいると、太いハケで塗ったような血痕が、斜面の下に続いているのに気づいた。覗き込むと、クマのうなり声が聞こえた。ヒグマはまだ生きていたのだ。

20メートルほど下の藪に身を隠しているようで、姿は見えなかった。手負いのクマほど危険なものはいない。背筋が凍りつく。しかし、動揺している場合ではない。一刻も早く原田を助けなくては。あたりを見回すと、斜面の上方に倒れている原田を見つけた。一目散に坂を駆け登る。

ようやく探し当てた原田の姿を見て、藤部は絶句した。

「顔の皮が散々に剝がされていて、とにかくズタズタのボロボロ。頰や顎の骨も折れていた。眼球はなんとか頭蓋骨の中にとどまっていたけど、右も左も完全にひっくり返って白目をむいていました。耳は両方ともギリギリちぎれずに、頭からダランとぶら下がってて。鼻も切り裂かれていて、全く原型をとどめていませんでした。後にも先にも、あんなひどい怪我は見たことがないね」

ヒグマの攻撃は、頭部に集中していた。首から下は無事に見える。原田は右手も噛まれたと言っていたが、手袋をしていたので詳しい負傷の状況は分からなかった。

「驚いたのが、ものすごい顔のままでちゃんと喋っていること。そして、既に出血がほとんど止まっていたこと。とんでもない生命力だな、と信じられない思いでした」