バラエティーというよりドキュメンタリー

そもそもモーニング娘。結成が、ある意味“下剋上”の産物だった。

1995年にスタートした『ASAYAN』は、「夢のオーディションバラエティー。」と銘打ち、多彩なオーディションを開催。CHEMISTRYや鈴木あみ(現・鈴木亜美)を生んだ歌手オーディション以外に、ごあきうえが優勝したファッションデザイナーのオーディションなどもあった。

そのなかのひとつが1997年の「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」。このときは、シャ乱Q全員で審査するかたちだった。

中澤裕子以下の5人も、このオーディションにエントリーしていた。だが優勝したのは平家みちよ(現・みちよ)。普通ならここで終了である。ところが何も知らず呼び出された5人は、つんく♂から新グループの結成を言い渡される。

つまり、敗者復活である。これがまずオーディションとしては前代未聞、掟破りの一手だった。しかもそれは珍しいことではなく、『ASAYAN』という番組自体が予想外の展開の連続だった。よく「大問題勃発。」「急展開。」といったテロップが仰々しい効果音とともに画面に大写しされていたのを覚えているひともいるだろう。

そのあたりは、バラエティー番組というよりドキュメンタリー番組である。元々オーディションにはドキュメンタリー的な要素があるが、それを徹底させたのが『ASAYAN』だった。

画期的だったつんく♂の審査法

ただ歌ったり踊ったりしているところだけでなく、受験者の家庭やサバイバル合宿にもどんどんカメラが入っていき、それぞれの素の表情を映し出す。その臨場感が視聴者を惹きつけた。

東京都港区虎ノ門にあるテレビ東京本社ビル(日経電波会館)
東京都港区虎ノ門にあるテレビ東京本社ビル(写真=ITA-ATU/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

そもそもモー娘。のインディーズデビュー、5万枚手売りという前例のないことができたのも、『ASAYAN』がドキュメンタリー的なリアルさを志向していたからだろう。そうしたことの積み重ねのなかで、メンバー同士の激しいライバル意識も隠さない、それまでのただの可愛いアイドルとはひと味もふた味も違うモー娘。のアイデンティティが形づくられていった。

つんく♂の審査スタイルも画期的だった。

まず、審査するのはつんく♂1人というのが新しかった。従来のオーディション番組であれば、審査員はずらりと4、5人並んでいるのが当たり前。だがモー娘。オーディションでは、つんく♂が1人で審査した。しかも対面での審査ではなく、1人別室で受験者の映像を見ながらあれこれ論評するというケースが多かった。

立ち位置的には、家で見ている視聴者と同じである。実際、つんく♂の発する言葉にはファン目線が感じられた。