インドの自動車産業の父
オサム(鈴木修)さんが亡くなった。1930年生まれの94歳。オサムさんは一歳年下の高倉健さんが好きだった。そして、豊田章一郎さんと章男さんのことも好きだった。
オサムさんは章男さんについて、こう言った。
「立派な経営力があります。尊敬してますよ。章男さんはリコールに際してアメリカに飛んでいかれたんです。素晴らしいことだと思います。身体をはってトヨタ自動車と豊田家を守った。身体を張ったんです」
「オサムさん」と書くのはスズキのインド工場の従業員がそう呼んでいたからだ。彼らは「オサムさん」もしくは「オサム会長」と日本語で言っていた。「オサムさん」と言う時、インド工場の現場の人たちはニヤッとして、口を開けて笑った。よほど好きだったのだろう。
現場の人たちはオサムさんがスズキのトップで、インドの自動車産業の父だと理解していた。
オサムさんがインドで車の生産を始めたのは1983年だ。それから42年がたった。現在、スズキのグローバル売上高(連結)は5兆3,743億円。そのうち2兆2352億円がインドのそれだ。生産台数では全世界327万台のうち198万台がインド製である。
これまでインドで生産した累計台数は3000万台。単純に考えれば3000万人のインド人がスズキの車を買っている。買った人が家族や友人を車に乗せたとする。1台当たり6人を乗せたとすると、2億人近いインド人がスズキの車を体験している。2億人のインド人に乗車体験を提供したのがオサムさんだ。
「儲けは小さくていいんだ」
オサムさんが海外に進出したのは「どこかの国でナンバーワンカンパニーになる」ためだった。
「一等賞を獲らないと元気が出ない」からというのがその理由で、最初に進出したのはパキスタン、次がハンガリーだった。インドの影に隠れているけれど、スズキはパキスタンとハンガリーでもナンバーワンシェアだ。
海外に進出する時、オサムさんが決めたのはエントリー層の客を大切にすることだった。初めての人が買いやすいようにコストを下げ、売り値も安くした。
「儲けは小さくていいんだ」と言ったのもオサムさんである。
また、初めて車を買う人たちの気持ちを考え、納車式をインドに持ち込んだ。納車式といっても今の若い人は知らないだろうけれど、かつては日本でも盛んだった。1960年代のモータリゼーションの頃、車を買うことは一大セレモニーだったのである。
車を買う時はユーザーだけでなく、家族や親戚一同を引き連れて自動車販売店を訪れた。販売店で納車式を行い、その後、ユーザーは自身の新車を運転して自宅に帰り、飲めや歌えの宴会を行ったのである。