世界に誇る「日本の自動車」を広めた人だった
「ご退任を発表されたときの言葉は今も私の心に残っております。
『生きがいは仕事です。挑戦し続けることは人生ということでもありますから、皆さんも仕事をし続けてください。バイバイ』」
オサムさんは豊田さんのことを「章男さん」と呼んだらしい。そして、「自分は叔父さんだ」とも言っていたという。章男さんのお父さん、豊田章一郎さんのことを5歳上のお兄さんとして慕っていたからではないか。オサムさんは豊田家にとっては「おやじ」であり、「おじさん」だった。
オサムさんはインドの人たちにとっては自動車産業の父だ。高倉健さんにとってオサムさんは同年代の仲間だろう。そして、豊田章男さんにとっては憧れのおやじさんだ。
私たち日本人にとってのオサムさんは尊敬すべき経営者であり、インド、パキスタン、ハンガリーと日本を結び付けてくれた人だった。