ファンだった高倉健さんとの思い出
ふたつのエピソードがある。
2005年に公開された映画『単騎、千里を走る。』の取材でわたしは中国の雲南省へ行った。親子の情愛を描いた作品で、主演は高倉健。監督は中国でナンバーワンの監督、チャン・イーモウだ。
高倉さんはたったひとりで中国ロケに参加していた。劇中、主人公役の高倉さんが中国人に自分の意思を伝えるために旗を使う。大きな旗に漢字を刺繍し、漢字の意味を使って自分の意思を伝えたのである。
高倉さんは「中国に不案内なわたしに力を貸してください」と言う代わりに『助』という旗を出し、相手の中国人が「わかりました」とうなづいたら、今度は『謝』という旗を出した。中国人にふたつの文字を見せて、意思疎通をはかるという重要なシーンだった。
わたしは高倉健さんとオサムさんのために漢字を刺繍した旗をお土産にしようと思った。そこで、一日かけて製造する会社を探し出し、「映画に出てくるのと同じ旗を作ってください。文字は『気』です」と頼んだ。
「気」は高倉さんが大好きな言葉だ。そして、オサムさんの旗も「気」という文字にした。オサムさんが高倉健のファンだと言っていたこと、スズキ販売店の人から「サインください」と頼まれた時、オサムさんは必ず「やる気」と書き添えていたからだ。
そうして、「中国のお土産です」と旗を渡したら高倉さんもオサムさんも喜んでくれた。
豊田章男会長が語った「憧れのおやじさん」
トヨタの会長、豊田章男さんもまたオサムさんを「修さん」と呼んでいた。亡くなった後、章男さんはお悔やみの文章を発表している。深い哀しみがこもった文章だ。
「ご逝去の報に接し、心よりお悔やみ申しあげます。鈴木修相談役は、ご自身のことを『中小企業のおやじ』と言われていましたが、私から見れば、日本の軽自動車を発展させ、国民車にまで育て上げられた憧れのおやじさんでした。
ここからは、親しみを込めて、修さんと呼ばせていただきます。
2016年の共同記者会見。修さんは『経営者には「これで一段落」ということはない。経営者である以上、チャレンジすること、社会のために経営をするということは、いつまでたっても変わらない』ときっぱりお答えになりました。
40年近く、スズキのトップを務められ、軽自動車という日本独自のクルマ文化を守ってこられた経営者としての覚悟。厳しい競争を生き抜いてきた、そして、これからも絶対に生き抜いていくという気迫を肌で感じました」