三重県伊賀市の和菓子店「桔梗屋織居」が手掛ける“のどに詰まらない大福”に注目が集まっている。その名は「おかゆ大福」。18代目店主の中村伊英さんが考案した。全国各地の高齢者施設や病院などから注文が入り、今では1日に100個ほど売れる人気商品となっている。中村さんはなぜ「おかゆ大福」を作ったのか。フリーライターのマエノメリ史織さんが取材した――。
中村さん
筆者撮影
和菓子店「桔梗屋織居」の店主・中村伊英さん。「おかゆ大福」の生みの親

誰でも安心して食べられる大福

「大福を食べたいけれど、のどに詰まることが不安」という人のために作られた和菓子がある。

ふわっと白くて、手に取ると赤ちゃんの肌のような柔らかさ。口に入れると、割れるようにサクッと噛み切れる。そして皮とあんが共に口の中で吸い込まれ、滑らかに溶ける。ありそうでなかったこの食感が「おかゆ大福」だ。

生み出したのは中村伊英よしひでさん。三重県伊賀市にある1607年創業、和菓子店「桔梗屋ききょうや織居おりい」18代目の和菓子職人だ。

店に入るとほのかな甘い香りが漂う。天井を見上げると、年代を感じるはりが巡らされ、木のぬくもりを感じる。正面には長いガラスのショーケースがあり、約100種類のお菓子が並ぶ。出迎えてくれたのは中村さんの妻・里美さんだ。

中村さんの妻・里美さん
筆者撮影
中村さんの妻・里美さん

「以前の店舗は250年も経過して老朽化したので、30年ほど前に建て直したのがこの店舗です。あの古い看板は、貴重なものなんですって」

店の左奥には「桔梗屋織居」と彫られた黒ずんだ看板がかかっている。江戸時代中期のもので、以前の店舗で使っていたと教えてくれた。看板マニアが本に載せるほど貴重な遺産だという。

この400年以上続く老舗店が、2015年から「おかゆ大福」の販売を始めた。今では1日平均100個以上売れる人気商品になっている。なかでも病院や高齢者施設からの注文は右肩上がりで増え続け、これまで全国約600施設におかゆ大福を届けている。

貴重な看板
筆者撮影
江戸時代の貴重な看板。本能寺の変後、伊賀に逃れた明智光秀の家臣を藤堂高虎が救済し菓子店を開かせたという