受け継がれる「レシピ」を疑う

「東京から田舎の店に帰ってきて、いろんなものを変えたんです。若気の至りで、東京のマーケティングを持ち込むわけですよ。これからの和菓子はこうせなあかんとかね」

何を変えたのか質問すると、間髪入れず、

「片っぱしから変えたんです。和菓子材料の配合はすべて変えちゃいました。長年いる職人とぶつかりましたね。父親はなにも言わなかったけど、喜んではなかったと思います。職人と私との板挟みで(笑)」

実家の和菓子店に戻った中村さんは、職人の見習いとして働き始めた。和菓子界でも腕の立つことで知られる大ベテランの職長は、見習いの振る舞いにいい顔をしなかった。この話にたたみかけるように続けた。

「砂糖100gと112gを使ったお饅頭を作るとしてね、112gの方がおいしかったら、その方がいいじゃないですか。でもレシピとしては100gの方が簡単なんです。だからみんな変更しないんですよ。もちろん100gでもおいしいですけどね。味って『絶対』じゃなくて『相対』なので」

店には職人から職人へ受け継がれてきたレシピがある。中村さんはそのすべてに「疑い」をもつようにしていた。レシピ通りに作ることを良しとせず、自分の味覚で判断する。その味をまた「疑い」、次の試作を繰り返していった。

店内に展示してある昔の道具
筆者撮影
干菓子の打ち物の木型
慶長7年と書かれた400年前の品も…
筆者撮影
「慶長丁未七月」(1607年)と書かれた当時のレジ(左)、藤堂家に献上する時に使用された菓子箱

「昔作られたお菓子が、いまのベストとは限らない」

「売り上げにダイレクトにつながったかわかりませんが、例えば、『水まんじゅう』は日経WEBスタイルで最上位の評価をいただき、百貨店のバイヤーは大いに参考にしてくれています」

試作を重ねて、いい手応えを感じていた。

「専門学校で食品化学を学んだことが生きてます。『おいしいもの』には必ず理由があるんです。原材料の産地、量、品種、製法、最適温度を変えてどんどん試しました。『こだわりの味』とか『昔ながら』って、真実の探求をやめたとしか思えない。昔作られたお菓子が、いまの段階でベストか、ベストじゃないかって裏付けせずに諦めたのと同じですよ」

穏やかな中村さんだが、ひときわ口調が強くなる。これが後に「おかゆ大福」を生み出す原動力となる。

おかゆ大福を作る中村さん
筆者撮影
店舗の横にある工房で作る和菓子を作る中村さん