富山の小さな鮨(すし)店が、ミシュラン一つ星を獲得した。店主の木村泉美さんは、修業経験ゼロ。名店の門を叩く代わりに、テレビ番組『情熱大陸』を何度も繰り返し観て、独学で鮨を学んだ異端の職人だ。一時は自己破産寸前まで追い詰められながら、なぜ世界に認められる存在になれたのか。現在は金沢に拠点を移し、なお挑戦を続ける木村さんの半生を、フリーライターの川内イオさんが追った――。

鮨の握りを『情熱大陸』で学んだ男

ほぼ独学ですしを学び、ミシュランの星を獲得した職人がいる。その名は、木村泉美。

地元富山の回転寿司店で3年働いた後、いきなり独立して失敗。再起をかけた彼が参考にしたのは、名店として名高い「あら輝」を率いる荒木水都弘氏だった……。と言っても、荒木氏のもとで修業したわけではない。荒木氏が登場する『情熱大陸』(2004年12月放送)を録画したビデオを「何万回も」観て、目に入るすべてを自身に刷り込んだ。

「鮨人」店主・木村泉美さん
筆者撮影
「鮨人」店主・木村泉美さん
鮨を握る木村泉美さん(仮)
筆者撮影
鮨を握る木村泉美さん

もちろん、ビデオだけでは限界がある。修業経験がないからこそたどり着いた「鮨の数値化」によって独自の進化を遂げた男が、富山市内で開いていた「鮨し人すしじん」(移転後:鮨人)でミシュラン一つ星を獲得したのは2021年。そして今、移転先の石川県金沢市で新たな挑戦を始めている。

「かっこよさ」に強くこだわり、長髪を束ね、出かける時は革ジャン。鮨業界の異端児は、想像よりもはるかにストイックだった。

「誰よりも幸せ感じたいから、誰よりも苦しいことをやるんですよ」

木村さんは1968年、都内で生まれた。しばらくして両親が離婚し、3歳の時、富山に住む父方の祖母のもとで暮らすようになった。奔放だった父親は家に寄りつかず、厳しく怖い祖母とのふたり暮らし。生活は苦しく、小学校1年生の時から新聞配達をした。自分で稼いだお金で、「アディダスの靴下」を買ったのを今でも覚えているという。

中高時代には、道を踏み外しかけた。それでもなんとか踏み止まったのは、「社長になって、金持ちになってやる」という燃えたぎるような思いがあったからだ。

月給10万円で「久兵衛」に通う

土木系の高校を出た後、2年ほど地元の建設現場で働いたが、「このままじゃ、金持ちになれない」と、20歳で上京。職を転々としながら、どうにかして成り上がろうと機会をうかがっていた。

何度目かの転職で特に思い入れもなく回転寿司店で働き始めた木村さんは、29歳の時、銀座の高級店「久兵衛」に足を運んだ。東京で燻っていたから、なにか取っ掛かりを掴みたかったのだ。そこには、それまで会ったことのない雰囲気を持つ人たちが大勢いた。

あの人はどんな仕事をしているんだろう? あの人が着ている服のブランドはなんだろう? お客さんの会話に、耳をそばだてた。鮨にはまったく興味を持たず、ひたすら周囲を観察した。

そうして何度か久兵衛に通っていたら、ある日、お客さんに話しかけられた。ひとりでカウンターに座る若者が珍しかったのだろう。

「君、月に1回ぐらい見かけるけど、仕事はなにしてるの?」
「普通に働いてます」
「給料、いくらもらってるの?」
「10万ぐらいです」
「ここで食べてたら、給料なくなるでしょ」
「なくなります。でも僕、本気なんで」

このやり取りをきっかけに、「久兵衛」で居合わせたお客さんと話をするようになった。なかには、かわいがってくれる経営者もいた。日常とは別世界の刺激に、心が湧きたった。