自己破産寸前、父の言葉ですべてを懸けた

さあ、これから心機一転、というわけにはいかない。事情があり、新店の営業を止めたにもかかわらず、数カ月にわたって家賃を払い続けなくてはいけなかったのだ。その苦境にあっても、鮨し人で挽回するという気持ちは変わらなかった。当時、末期ガンで病床に臥せっていた父親と話をした時、こう言われた。

「お前は鮨の道を極めるんだな」

当時、自己破産寸前まで追い詰められていた木村さんは、この時、腹をくくった。

「親父はもうその時、自分でも先が長くないとわかっていたんだと思うんですよ。親父とはいろいろあったけど、その言葉を聞いて、俺はやっぱ鮨屋だって再確認しました」

鮨にすべてを懸ける。覚悟を決めた木村さんは、それまで以上に鮨の世界にのめり込んだ。お米、魚介、お酢、わさび、煮切りなど使用する素材に徹底的にこだわるのは当然のこと、誰からも教わっていないからこそ、「疑問に思うことすべてに答えを出す」という姿勢でネタやシャリと向き合った。

当たり前を疑い、おいしいを数値化する

例えば、イカは食べやすくするために薄く切るのが常識だが、もっとおいしく食べる方法はないのか? 何度も実験を繰り返してたどり着いた答えは、マイナス60度で冷凍すること。そうすると細胞膜が壊れ、生の状態より柔らかくなる。

ただし、冷凍すると水分が入る。水には「自由水」と「結合水」の2種類あり、たんぱく質や糖質と強く結合するのが結合水。この結合水だけを残すために、浸透圧脱水シートで自由水だけを抜くと、旨みが凝縮する。提供する際、表と裏に包丁を入れれば、結合水が残ったイカが、口のなかで溶ける。この方法なら、噛めば噛むほど甘みを感じる分厚いイカを出すことができる。

マグロはどうか? シャリの温度を高くすると、マグロの脂が溶けだしていい香りが出る。ただ、マグロの鮨はシャリが冷たい状態で食べるとおいしい。温か過ぎず、冷た過ぎず、マグロの香りが感じられるシャリの温度を探るために、マグロの融点を調べる。

シャリやほかのネタも同じように、鮨業界の「当たり前」の発想を疑い、科学的なアプローチでイチから仕込み方を探求した。

「おいしさにはすべて理由があるんです。だから、ひとつひとつ地道にその答えを探し当てて、数値化していきました」

ネタを捌く木村さん①(仮)
筆者撮影
ネタを捌く木村さん
仕込み中の木村さん(仮)
筆者撮影
ランチの立ち食い鮨。山葵をすりおろす職人さん