誰にも負けたくないから、誰の弟子にもならない
ある日、いつものように「久兵衛」のカウンターでお客さんと話しながら、なんの気なしに目の前にいた職人を見た。
その瞬間、ハッとした。自分と同じぐらいの年齢でつけ場に立っているその職人は、端正な鮨を握っていた。その鮨を口にしたあるお客さんは目をつむって唸り、あるお客さんは感嘆の声をあげた。その様子を見て、顔面に氷水を浴びせられたような気がした。
「この場の主役は、この職人なんだ……」
それまで鮨は二の次で、お客さんのことしか意識していなかった木村さんは、初めて気が付いた。ビジネスはひとりじゃできないし、結果を出すのに時間がかかる。鮨ならひとりで、一貫、一秒でその場を支配できる。
同年代の職人の仕事ぶりを見て生来の負けず嫌いに火が付いた木村さんは、奮い立った。
「俺も鮨職人になる!」
しかし、有名な職人のもとで修業をしようとは思わなかった。
「だって、悔しいじゃないですか」
誰にも負けたくない。だから、誰の弟子にもなりたくない。鮨業界の常識を知らない男は、回転寿司店で黙々と寿司を握りながら、独立の機会をうかがった。
「こんなことをやりたかったわけじゃない」
1999年、31歳の時に故郷の富山市で鮨店を開いた。資金がなかったから、内装はほとんどDIYで仕上げた。器を仕入れるお金を節約するために、陶芸家を訪ねて「割れた器をください」と頼み込み、あえて割れた器をそのまま使った。川で石を拾ってきて、そのうえに鮨を載せて提供した。この店は、わずか1年半で閉じることになる。
「お客さんは地元の不良仲間ばっかりだったから、飲んで食べても3000円以上取らなかった。そりゃ、長居しますよね。満席になっても、ぜんぜん儲からない。そのうち、なにやってんだろ、こんなことをやりたかったわけじゃないってイヤになって、逃げました」
それでも、鮨職人の道を諦めようとは思わなかった。脳裏には、「久兵衛」にいた同世代の職人の姿が焼き付いている。いつしか、「金持ちになりたい」という野望よりも、鮨職人として勝負したいという思いが勝っていた。
ほかの仕事をしながら二度目の開業に向けて資金を貯めていた木村さんは、2004年12月、テレビ画面にくぎ付けになっていた。その日放送された『情熱大陸』に登場していたのが、「あら輝」の荒木水都弘氏。研ぎ澄まされた、その流れるような所作から生み出される鮨は、輝きを放って見えた。

