擦り切れたビデオテープ
画面越しにでも、回転寿司で働いた経験しかない自分が握る鮨とは別物だとわかり、「すごい……」と言葉を失った。その日から、録画していた『情熱大陸』を毎日のように、何度も何度も繰り返し観た。荒木氏の言葉、目線、身体、指先、画面に映るあらゆる思考と動作を取り込もうとした。
「何万回観たかわかりません。とにかく、死ぬほど観ました。うちの子どもたちも、覚えていると思いますよ。最後は、ビデオテープが擦り切れました」
荒木氏の『情熱大陸』放送からおよそ半年後の2005年4月、自己資金と銀行からの借金で富山市内の住宅街に建つ古い一軒家を借りて、「鮨し人」をオープン。1軒目と同じ轍は踏まないと、コース価格を7000円に設定した。すると、地元の不良仲間たちは顔を出さなくなったが、ほかのお客さんもまったく来なかった。
標高3000メートルの立山連峰から水深1000メートルの富山湾に栄養豊富な水が流れ込む富山は、魚がおいしいことで知られる。もともとその魚を使う鮨店が充実している環境で、鮨職人として無名の木村さんの存在感は薄かった。閑古鳥が鳴くお店に立ちながら、木村さんは借金の返済に頭を抱え、悔しさに歯ぎしりした。
「かっこわる」人生を変えた妻の一言
ここで木村さんは、意外な手を打つ。さらに借金を重ねて、もう一店舗、まったく別の飲食店を開いたのだ。自分は鮨し人を見なければいけなかったから、新店は従業員に任せた。その店が、当たる。すぐに利益を出すようになり、ひと息つくことができた。
ここが、分かれ道。ある日、木村さんは妻に「鮨し人を閉めようと思う」と話した。2店舗分の借金が残っている状況で、お客さんがたくさん来る新店と、二度目のチャレンジにもかかわらず赤字続きの鮨し人、どちらを残すのか、考えるまでもない。鮨し人での苦労を知っている妻も同意してくれるだろうと思ったら、想像もしない言葉が返ってきた。
「かっこわる」
「……かっこ悪いけど、生活しなきゃいけないだろ」
「うん。でもそれって、パパの生き方とは違うでしょ。難しい道をとるほうが、自分の人生なんじゃない?」
この時、再び生来の負けず嫌いが頭をもたげた。それまでずっと、「男として、かっこいいかどうか」を判断基準にして生きてきた。外見もそうだ。だから、鮨職人になっても長髪をやめなかったし、プライベートでは高校時代から好きな革ジャンを着続けてきた。
他人の評価というより、自分で自分のことを「ダサい」と思いたくない。妻の一言で、目先のお金に囚われて、自分がかっこう悪い道を選ぼうとしていることに気づいた木村さんは、十分な利益を出していた新店を畳む。

