販売や物流の現場にTPSを導入するための部署、業務改善支援室。室長である豊田章男をはじめ、約70名のメンバーは皆、茶色のジャンパーに身を包んでいた。その一人であった飯塚素人が語る、豊田章男の姿とは――。

「トヨタは儲かっていて、いい会社」章男が不機嫌になった真意

業務改善支援室ができたことに刺激されたのが同じ国内営業の部門にいた飯塚素人もとひさだった。飯塚は当時、同室と同じフロアで働いていた。しかも、隣り合った部署だ。全員がスーツでなく、茶色のジャンパーを着ていたこと、室長が豊田家の人間だったことに興味を持った。飯塚自身は販売店の三代目だ。販売店の二代目、三代目で後継者を目指す人間は数年間、トヨタで仕事を学ぶことができたのである。飯塚もまたトヨタで学び、現在は祖父の代に創業したネッツトヨタ東埼玉の社長として同社を成長させている。

当時、飯塚は業務改善支援室のメンバーを見ていて「変わった人たちだな」と違和感を覚えた。

「茶色のジャンパーの人たちがオフィスにいるのは月曜日の午前中だけでした。月曜日の午後になると、全員、各地の販売店へ出かけていくから誰もいなくなってしまう。次の月曜日まで会社にやってこない。室長の豊田(章男)さんもいないことのほうが多かった。

僕は隣にいたので豊田さん、友山(茂樹)さんと話をすることがありました。そうしているうちに仕事の中身が販売店の経営に役に立ちそうだったので、手を挙げて業務改善支援室に入れてもらいました。もちろん、茶色のジャンパーをもらいました」

業務改善支援室のメンバーには決まりごとがあった。それはカイゼンに出かけた先の「販売店からご馳走にならない」ことだ。

「昼飯を一緒に食べよう」と言われたら同席する。しかし、代金はそれぞれが払うことを厳格に決めていた。販売店の人間に食事をおごってもらったりしたら、それが目当ての仕事なのかとトヨタ社内から不審を招く恐れがある。豊田章男はそういう細かいところまで気を配る男だった。その代わり彼が現場に視察に行った時はメンバーを集めて、近くにあるリーズナブルな料金の居酒屋で慰労をした。むろん、ポケットマネーだ。

飯塚の話に戻る。飯塚は1998年に業務改善支援室に異動して、福島トヨペット、カローラ宮城、奈良トヨペットの改善に携わった。実家に戻り、販売店の経営に役立つに違いないと思って志願したのだが、実際に現場に行ったら、非常にやりがいのある仕事だとわかった。福島トヨペットの郡山店ではSQ(スーパークイック)車検という短時間で車検が終わるシステムを導入した。導入した後に現場の人間が涙を流さんばかりに飯塚たちに感謝した。現場の喜びに触れると、飯塚もまた胸がいっぱいになった。改善の結果、いちばん満足感を得られるのは現場だ。飯塚は業務改善支援室にいた間、毎日が充実していた。SQ車検だけでなく、新車、中古車の物流改善の指導にも関心を持って臨んだ。

翌99年、トヨタでの修業時代を終えた飯塚は実家の販売店、ネッツトヨタ東埼玉に戻り、父親の下で仕事を始めた。業務改善支援室で学んだことを実践しようと、販売店の新車センターに出かけていった。そこで見たのは……。

「まったくダメでした。何にもできていなかった」

彼が見たのは新車センターで車を探す数人の営業マンだった。