現会長である豊田章男の父、章一郎。それまで自工と販売で分かれていた会社を1982年に合併させた。章一郎の徹底した「品質管理」の姿勢は、どのようにして培われてきたのだろうか――。

第七章 章一郎のトヨタ生産方式

検査を厳しくすればミスがなくなるわけではない

豊田喜一郎の長男、章一郎が生まれたのは1925年。昭和になる直前の大正14年だった。戦後、財閥解体が始まり日本国憲法が施行された1947年、章一郎は名古屋大学工学部機械科を卒業した。大学に通っていたのが第二次世界大戦中と敗戦直後だったこともあり、勉強することもままならなかった。父親の喜一郎から「大学院で勉強し直したらどうか」と勧められ、東北大学大学院工学研究科に入学、仙台市内に下宿して通った。

父親の喜一郎は敗戦後、衣食住の3つすべてについて事業化を考えていた。大学院にいた章一郎を稚内にあった水産加工会社へ派遣し、ちくわを焼く機械の研究をさせたのは食に関する事業設立を検討していたからだ。章一郎は大学院を出た1950年に名古屋へ戻り、その年の6月に設立された住宅事業のユタカプレコンの創業にかかわる。