お客様が欲しいものを、お客様が欲しいときに提供する――それが「トヨタ生産方式」だ。難解とされる所以は、その実践の難しさにある。トヨタ生産方式を現場に定着させる「後工程引き取り」とは。

トヨタ生産方式はなぜ難しいと思われるのか

豊田佐吉と喜一郎の経営哲学を現場の作業に合わせて、「かんばん」などさまざまなくふうを考えたのが大野耐一(1912〜90年)だ。大野は父親が仕事をしていた中国の大連で生まれている。日本に戻った後、名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)を出て、豊田紡織(現・トヨタ紡織)に入社した。元々は紡績と織布の技術者である。太平洋戦争中の1943年、トヨタ自動車工業に転籍した。49年に本社工場の機械工場長、59年に取締役の元町工場長、63年に常務、75年に副社長になり、退任したのは78年である。

大野の経歴に出てくる「機械工場」だけれど、これは部品を作る工場でひとつの建屋を指す。英語ではファクトリー(factory)だ。一方、本社工場、元町工場というのは機械工場、組み立て工場などいくつかの建屋が集まった自動車工場で、英語ではカー・プラント(car plant)と呼ぶ。