人間は一面では語れない。それは経営者も同じだ。ダイエーを創業し、小売業として初の売上高1兆円に導いた中内㓛は、流通の革命児と称される。ライターの栗下直也さんは「メーカーと戦争も辞さない徹底した価格競争の背景には、戦死した人々に誓った特別な想いがあった」という――。
中内㓛(2000年1月17日)
写真=時事通信フォト
中内㓛(2000年1月17日)

日本の流通を根底から変えた中内㓛の原点

ダイエーがまだあったのか。そう思う読者もいるかもしれない。

かつてグループ売上高5兆円を誇り47都道府県すべてに出店した巨艦は、経営破綻を経て2015年にイオンの完全子会社となったが、現在もイオングループの一社として近畿と関東で食品スーパーを展開している。その「まだあった」ダイエーが、2026年3月1日、大きく再編される。

関東の約80店舗はイオングループのマックスバリュ関東に移管され、同社は「イオンフードスタイル」に社名を変更。関東から「ダイエー」の看板は消える。

一方、近畿ではスーパーの「KOHYO」などを展開する子会社・光洋を吸収合併し、本社を東京から大阪府茨木市に移転。近畿2府4県の計187店に経営資源を集中する「新生ダイエー」として再出発する。

約70年にわたる膨張と収縮の果てに、創業者・中内㓛が起業した原点に、ダイエーは立ち返ることになる。

没後20年を過ぎた今、追悼ではなく、一つの問いとしてこの男の生涯を読み直したい。「よい品をどんどん安く」という社是は、どこから来たのか。日本の流通を根底から変えた破壊者を、あれほどまでに駆り立て続けたものは何だったのか。

千林駅前の30坪から始まった革命

1957年9月23日、大阪・京阪電鉄千林駅の真向かいに一軒の薬局が開店した。「主婦の店ダイエー薬局」。売り場面積は約30坪(約100平方メートル)、従業員13人の小さな店だったが、この店には他にない特徴があった。缶詰や化粧品、日用雑貨を店頭に山積みにし、他店で200円する風邪薬を130円で売った。

千林商店街。2007年5月撮影
千林商店街。2007年5月撮影(写真=BJP039/CC-BY-SA-3.0-migrated-with-disclaimers/Wikimedia Commons

当時、近くで商店を営んでいた男が「何でそんなん安くなるねん」と尋ねると、店長はこう答えたという。「風邪薬でも、みな30個、40個しか買わへんが、わしとこは1000個単位で買うからや」。

大量仕入れによる安売り。定価販売が当たり前だった時代に、この手法で商習慣に風穴を開けた男こそ、この店の店長で、後に「流通革命」を掲げ、日本最大の小売業を築く中内㓛である。