トヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎が生きた時代、自動車製造は「道楽」の事業と評された。その余裕こそがトヨタの成功の礎となった。創造を生む現場の姿とは――。

自動車製造が道楽と呼ばれた時代

豊田喜一郎は挙母工場を造った時、「道楽の気持ちもある」と言っている。現代の社長がそんなことを言おうものならたちまち炎上するだろうが、この気持ちは新事業への進出では悪くない。それくらいの余裕がないと部下は緊張するだけで本来の力が出せなくなる。

彼はこう言っている。

「豊田(自動織機)は最初から自動車事業で飯を喰う積りで始めたのではない。何とか立派な自動車を作ってみたい。半ば道楽気が手伝って始めたのである。併し改良進歩が出来ない様な工場組織では自動車事業をやる価値がない。そこで挙母に移転し全く新しい設備と、新しい組織でやる事にしたのです。刈谷でも拡張して行けば二十万坪や三十万坪の地所はどうでもなったのであるが、それでは思い切った大改革が出来ないので、不便を忍んで挙母に全く新しく工場を作りなおした訳で御座います」(「豊田喜一郎文書集成」)

自動車事業は挑戦だ。これまでやったことのないものを創造することだ。そのために「新しい設備、新しい組織」をつくった。毎日、通っている織機工場のなかで、ああでもないこうでもないと考えたとしても斬新なアイデアは出てこない。だから、新しい環境をつくる。その中で考える。新しい環境で仕事をする時に、血相を変えたり、鉢巻きを締めたり、歯をぎりぎりかみしめるような緊張はいらない。それが喜一郎の言い分だ。肩の力を抜いて考えながら、発見しながら仕事をしようという部下たちへの呼びかけだ。

現場を育てるのに必要なのは厳しさか、楽しさか

自動車製造はそれでなくとも緊張を強いられる現場だ。がみがみ怒鳴って、徹夜させたらモチベーションは下がるし、事故につながる。作業者がリラックスして、仕事を楽しむことができるような環境を整備することが経営者の仕事だ。現場の作業者を叱咤するのはたやすい。しかし、それではみんな萎縮する。改善の提案も出てこなくなる。喜一郎は現場の現実を知っていた。

現在、喜一郎の孫の豊田章男が富士山の裾野にウーブン・シティを造成して、そこで人を育てている。喜一郎が挙母工場を造り、そこで現場の人たちに新しい考えを促したように、章男もまた新しい環境をつくり、人を育てている。偶然だが、ウーブン・シティについては「章男の道楽」と揶揄するマスコミもある。だが、章男の気持ちは喜一郎と同じだろう。新しい考えは新しい環境と仕事を楽しむ気持ちから生まれるものだ。

喜一郎は挙母工場に行く前から口癖のように「ジャスト・イン・タイム」と言っていたという。喜一郎の自動車づくりを手伝った岩岡次郎という人の回想だ。岩岡によれば「刈谷の試作工場ではジャスト・イン・タイム生産はまだできなかった」。

しかし、挙母工場ができたら、喜一郎は自らジャスト・イン・タイム生産を確立するため、材料置き場にまでやってきたという。

岩岡は言う。

「たとえばエンジンブロックを1日に加工するのが20個とすると、20個分のスペースだけしか造らせなかった。喜一郎自ら『余分なものは作るな、置くな』と言った」

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