クルマをお客さまに早く届けるために、生産現場ではリードタイムを短縮する工夫をし、ムダをなくしてきた。 一方で、販売店ではクルマが何十日も滞留し続けていた。豊田章男の、販売現場での奮闘が始まる。
第二章 トヨタ自販とTPS

販売に導入されているトヨタ生産方式

トヨタ生産方式(TPS)がもっとも進化した生産工程を見ることができるのは元町工場のラインだ。そして、今、同方式は生産工程にとどまらず、販売まで導入が進んできた。物流ではジャスト・イン・タイムを目指した調達部品、完成車、補充部品の3つの物流に同方式が導入され、カイゼンを続けている。

最後に残ったのが販売だった。実は販売に関しては1996年、まだ課長だった豊田章男が導入を試みたことはあった。その後、活動は継続していたものの、それが2020年を過ぎて、導入が本格化し始めた。

トヨタ生産方式を販売へ導入することは創業者、豊田喜一郎の悲願を達成することでもある。

1982年の自工と自販の合併契約書調印
1982年の自工と自販の合併契約書調印の場には、自工から花井正八会長と豊田英二社長、自販からは加藤誠之会長と豊田章一郎社長が出席した。

そもそも同方式は生産工程だけでなく、販売店、ユーザーの元へ行くまでジャスト・イン・タイムを追求することにあったからだ。創業時のトヨタは自工と自販に分かれる前だ。豊田喜一郎が「ジャスト・イン・タイム」と言った場合、それは当然、工場からユーザーの家までのルートを含んだものだったのである。だが、戦後、経営危機となる。銀行の指示によりトヨタは自工と自販に分かれるしかなかった。車を生産する側の自工(トヨタ自動車工業)はトヨタ生産方式に則り、原価低減に励んだ。ライバルに負けない車をつくるために汗を流し、現場をカイゼンするしかなかった。

「ジャスト・イン・タイム」を見失った理由

一方、自販(トヨタ自動車販売)は販売店を統括する卸売り会社だ。車が売れなかった草創期こそ辛酸をなめ、苦労をした。だが、高度成長以後の「つくれば売れる」時代になったら、ユーザーの元へ「ジャスト・イン・タイム」で届けることへの意識が薄くなっていった。日産をはじめとするライバル社に負けないよう営業支援をすることで苦労はしていた。だが、自工から仕入れた車を販売店に送った後、実際にユーザーの家を訪問して営業するのは各地にある販売店の従業員だった。

1982年に両社が合併してトヨタ自動車になってからも、販売部門が話すことは決まっていた。

「販売にカイゼンはいらない。その場の勢いで売ればいい」
「販売はジャスト・イン・ケースだ。お客さまの事情によって変わるんだ」

トヨタ生産方式は豊田喜一郎が目指したもので、顧客のためにあることと理解していなかったのである。

1996年、それまでの販売システムに対して疑問を持ったのが豊田章男だった。章男は当時、課長職で岐阜のカローラ店の地区担当員をやっていた。地区担当員とは営業のスーパーバイザーで、担当する販売店を回り、営業支援をする仕事である。

豊田章男氏
「トヨタと販売店、お客さまをつないでこそのジャスト・イン・タイムではないのか」、その想い から販売の現場にTPS導入を進めた。

豊田章男の発見 しかし孤立無援

“工場では6時間でクルマをつくる。それなのに販売店では売れないクルマが何十日も滞留する”

章男は現場を見て、目を疑った。ヤードには同じ車種、同じ色の車が何十台もあふれていたのである。しかも、何十日もそのままだと聞いた。