徒歩で縦断し知った日本の「原風景」

駅前に畑を借りて、野菜をつくっています。日曜はいつもと同じ4時半に起床、約6kmを走ってここまで来ます。今日は部下が同僚とホームパーティをするというので、差し入れする小松菜を収穫しました。雨降りの翌朝なので、葉が瑞々しくおいしそう。これなら喜んでもらえそうです。

9年前、前社を退職する際に2カ月の有給休暇を取りました。せっかくの時間をどう有意義に過ごそうかと考えて、学生時代にバイクで3度も訪れた北海道を、歩いて旅することにしたのです。稚内から函館まで1日30~40kmのペースで進み、夜はテントを張って寝袋で眠りながら、約1カ月をかけて踏破しました。

その後、いまの会社に入社したのですが、忙しい日々のなかで、ときおり楽しかった旅の記憶がよみがえり「また、あの続きを歩いてみたい」と思うようになりました。もちろん、もうあんなに長い休暇は取れません。そこで週末や連休のたびに前回の到達点まで戻り、そこから再スタートする「歩き旅」を始めることにしたのです。青森・大間を出発点に、途中コロナ禍で中断しながらも、9年間で延べ160日をかけて鹿児島・佐多岬までたどり着きました。

旅のルートは、東京から行き来しやすい太平洋側の主要街道が中心でしたが、昔ながらの田舎道や裏道があれば、そちらを好んで歩いていました。旅を通して心に残ったのは日本の原風景ともいえる、田んぼや畑が広がる景色です。風にそよぐ田に植えられた苗、黄金色に波打つ稲穂、緑の野菜が実り豊かに連なる畝――そんな風景に何度も足を止めました。

都会育ちで農業とは無縁でしたが、このときの経験を通して、国の土台には農業があるのだと実感しました。土を耕し、種をまき、作物を育て、収穫する。そんな喜びを自分でも体験したいと思っていたとき、偶然この「シェア畑」のチラシを手にしたのです。道具はすべて揃っていて、わからないことは指導員が教えてくれる手軽さにも、背中を押されました。

最初に育てたのは大根でした。無農薬でつくった大根の葉は柔らかくておいしいと聞き、少し伸びてきた葉っぱをちぎっては食べていました。ところが、待てど暮らせど大根は太らない。「どうしてだろう」と指導員に相談すると「葉っぱを食べちゃったからですよ。光合成って習いましたよね」と笑われました。知識としてはわかっていたけれど、自分の畑で起きている現象としては、結びついていなかった。土の上も下も、両方を育てているんだという当たり前のことを、身をもって学びました。

ある日、出勤前に採ったピーマンをポケットに入れて、電車で帰ったことがありました。つり革につかまろうとした瞬間、裸のピーマンがぽとりと床に落ちたのです。周囲の人が私とピーマンを交互に見て、驚きながらも何も言わない、不思議な空気に噴き出しそうになったこともありました。

半分近くを新しい事業に置き換えてもいい

しっかりとした土壌をつくり、日当たりと風通しのよい環境を整えれば、野菜は健やかに育ちます。ときには支柱を添えて風から守ってやることも必要ですが、過保護にして水や肥料を与えすぎるとかえって根が傷み、実がつかないこともあります。

組織運営や人材育成にも通じるところがあります。手を貸すばかりではうまく成長しませんし、収穫を焦らず忍耐強く待つことも必要です。私はカリスマ経営者ではありません。自分が前に出るよりも、豊かな土壌のある事業領域を見極め、社員が力を発揮しやすい職場環境を整えること。そして、ときには支えて脅威から守り、大きく育てていくことが使命だと思っています。

当社は1886年に創業しました。当初は染物業を営んでおり、渋沢栄一氏の支援を受けて海外展開も果たしましたが、1970年代に染物業が立ち行かなくなり、不動産取引業へ転換しました。時代に応じて柔軟に形を変えてきたからこそ、今日があるのです。創業140年を間近に控えた当社グループは売上高が約500億円、利益が約20億円。その利益を今後10年間で10倍に伸ばすビジョンを描いています。それには既存事業を守るだけでなく、半分近くを新しい事業に置き換えていくほどの覚悟が必要です。パーパスに掲げたとおり、これからもワクを超えるしなやかな発想で、世界を色鮮やかに染め直していきます。

(構成=渡辺一朗 撮影=宇佐美雅浩)

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