寺田倉庫の社長として天王洲エリアをアートの街に変身させるなど大胆な手法で多くの企業を再生してきた中野善壽氏。給与も受け取らず、余ったお金はすべて人や社会に寄付し、家も持たないという。そんな「すべてを捨てて、豊かになる」人生哲学について聞いた。
捨てる生き方1
他人から見た成功には意味がない
自分の軸に従って自由に生きる

タンポポの綿毛のような自由な生き方が理想

お金をたくさん持っていると幸せなのか、それとも不幸せなのか。

金銭哲学の永遠のテーマですが、約80年の人生を送ってきた私の答えは、すでに決まっています。有り余るお金は、人間を不幸にします。「必要最低限の生活費だけを残して、あとは喜捨する」のがよいでしょう。私のような後期高齢者だけでなく、現役世代のビジネスパーソンとて同じこと。むしろ「足るを知る生き方」を、早く身につけたほうが得策でしょう。そうすれば、若い人ほど、長い人生を豊かで、幸せに過ごせるのではないかと思います。

捨てるべきものは、お金ばかりではありません。人生を送っていると、余計なものがたくさん付随してきます。私に言わせれば、なくてもいいものばかりです。家や車、時計、ファッションなど、所有しなくても生きていけるものが多い。キャリアや肩書、人間関係のしがらみなども必要ありません。そうした一切合切を「捨てる生き方」を、私はお勧めしたいのです。

中野 善壽
中野 善壽 Yoshihisa Nakano
東方文化支援財団 代表理事。台湾へ渡り、遠東集団菫事長特別顧問・亜東百貨COOに就任。そのほか複数企業で経営職や顧問等を歴任。2011年、寺田倉庫社長兼CEOに就任、19年退社。21年、ACAO SPA&RESORT CEOに就任、24年退社。アートや興育、空きスペースの活用を核とした地方創生活動を続ける。主な著書に『ぜんぶ、すてれば』『お金と銭』(共にディスカヴァー)など。

何も持たなければ、過去にとらわれることもなく、未来に悩むこともなく、今日を充実して生きることができます。私の生き方を通じて、そのことを皆さんにお伝えしたいと思います。

私は、タンポポの綿毛のように自由で、それでいて、どこへ飛んでいってもしっかりと地面に根付くことができるのが、理想の生き方だと考えています。肩書へのこだわりも、興味も持ち合わせていません。会社での役職なんて、それがどんなにすばらしくても一時のポジションにすぎず、明日には「無職」になってしまうかもしれないからです。なまじ肩書やポジションがあると、迷いが生じて、かえって人生の足かせになると、私は考えています。

世間では、私は「有能な経営者」と評価してくださっているそうですが、そうした自覚もありません。私のこれまでの経歴を見て、他人から「成功」と言われることもよくあるのですが、自分にとっては、意味がありません。むしろビジネスキャリアの前半は、自分ではいわゆる「黒歴史」だと思っていて、「捨ててしまいたい過去」なのです。

私は、戦時中に生まれました。幼少期に暮らしていた東京の下町、墨田区は、東京大空襲で真っ黒な焼け野原となってしまいました。故郷のそうした無残な姿が、最初の記憶に残っている原風景です。焼け出された私は、東京都港区の母の実家を頼りました。しつけが厳格な祖母に育てられ、ピアノや華道といった習い事も強いられました。祖母は、華道や茶道の師匠をしていたのです。「女の子みたい」と、周りにはバカにされましたが、礼儀作法を身につけるのには役立ちました。

しかし、小学6年生のときに祖母が亡くなり、今度は弘前市の親戚に預けられました。ご存じかもしれませんが、青森の言葉は標準語とはまるで違ううえに、県内でも地方によって言葉が違うのです。弘前は「津軽弁」なので、全く言葉が通じないし、下駄履きの子どもたちの中で革靴を履き、オーダーメードの服を着ていた私は「異星人扱い」され、いじめの格好の標的になりました。

とはいえ、私にも救いがありました。野球だけは弘前の友達との「共通語」で、私は野球が得意だったため、仲間として認めてもらえたのです。中学・高校でも、野球には打ち込んだのですが、生活は相当に「荒れて」いました。それでも高校を卒業して、関東の大学に入学したものの、これまた野球ばかりに明け暮れ、4年間のうちキャンパスには4〜5時間程度しか通わず、教科の成績はすべて「可」。学生時代の思い出は、できれば封印したいと、いまでも思っています。

大学を卒業すると、伊勢丹に入社しました。当時はいまのような就職活動のシステムがなく、親しかった花屋さんに、親戚の伊勢丹の方を紹介してもらいました。