十分に商機のあるビジネスでも計画通りには進まない。ベンチャーキャピタリストの原丈人氏は「私が会社を設立した当時、新技術に関心は示してもらえたものの、何十社回っても受注はゼロだった。最後の望みを託してウォルト・ディズニー・プロダクションへ営業に行ったところ『とてもおもしろい』と興味を持ってもらい、そこから1000万円を超える受注を得た」という――。

※本稿は、原丈人『THE BEST WORK 「最高の仕事」を生きる』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。

十分に商機のある事業計画

目標は立てたとおりには進まない。

私は最初のビジネスを立ち上げたときにそれを痛感した。

1979年、私はスタンフォードのビジネススクールの課題研究で「事業計画書」の書き方を学んでいた。好成績と卒業単位の獲得のため、現実味のある事業計画を立てることが必須だった。

他の学生たちはあくまでも授業の課題として取り組んでいたが、私は本気で事業を興すつもりで取り組んでいた。

考古学研究のための資金づくりをしたかったからだ。

私の事業計画は、「光ファイバー」を大型ディスプレイに使うシステム開発のメーカーを興すというものだった。

当時はまだ液晶ディスプレイも、プラズマディスプレイも、有機ELディスプレイも、研究途上。仮にこれらの技術を用いた画面表示が実現できたとしても、あまりに莫大な費用がかかるし、画面の大きさもせいぜい50インチが限界だった。

家電量販店で10万円を切る価格で有機ELの大型モニタが買える現在から考えると、技術開発から量産までにかかる年月の長さを感じる。

その点、光ファイバーを使ったディスプレイ・システムは当時から技術的にも実現可能で、小型、中型、大型、超大型と容易に大きさを変えられる利点があった。

1970年代から80年代初頭、ニューヨークのマディソンスクエアガーデンなどの街頭広告に使われていた大型ディスプレイは、電球を何千個、何万個も使ったもの。難点はすぐに電球が切れてしまい、練りに練ったキャッチコピーの「J」が「I」になってしまったり、魅力的なモデルの顔の一部が欠けてしまったりすることだった。

これを光ファイバーに置き換えれば、すぐに切れてしまう電球を交換する手間やコストがかからず、電気代も節約できる。

つまり、十分に商機のある事業計画だったのだ。

発光している光ファイバー
写真=iStock.com/Qin PinLi
※写真はイメージです

計画が行き詰まり、自ら工学部大学院へ

しかし、実際に資本金60万円を用意し、社長は自分と決めたところで、この計画は行き詰まってしまった。

エンジニアリングの担当者がいなかったからだ。

光ファイバーは先端技術で、材料工学、電子工学、光工学の知見のある人材が必要だった。

キャンパスには必要な知見を備えた学生が何人もいた。だが、1980年代初頭、スタンフォード大学工学部の卒業生の年収は800万円が相場。お金のない私には、とても彼らを雇うことができない。

そこで、自分自身がエンジニアの資質を身につけるしかないと考え、工学部大学院に入りなおすことにした。考古学研究の資金づくりのためのビジネスと英語を学ぼうとスタンフォード経営大学院に入り、今度は自ら書いた事業計画書の実現のため、工学部大学院に進む。

まわりからは無謀な遠回りに見えただろう。