社員を泥舟に乗せるか新たな島に導くか

フジクラは創業140年を超える電線メーカーで、住友電気工業、古河電気工業と並び「電線御三家」と呼ばれてきました。現在は事業の主軸を電線から光ファイバーケーブルへと移し、特にデータセンター向け需要の拡大を背景に業績を大きく伸ばしています。

2026年3月期の売上高は1兆1824億円、営業利益は1887億円と過去最高益を達成し、株価もこの5年で約50倍に上昇しました。しかし、こうした姿は、ほんの6年前には全く想像できませんでした。

私はもともと技術畑の人間です。1986年に入社して以来、千葉県佐倉市の事業所で光ファイバーの研究開発に携わってきました。そんな私が2020年1月、いきなり本社の経営企画室へ異動になったのです。当時、携わっていた次世代光ケーブル事業が軌道に乗り始めており、正直、本社への異動は気が進みませんでした。

フジクラ社長CEO 岡田直樹
フジクラ社長CEO
岡田直樹(Naoki Okada)
1986年、千葉大学工学部卒業後、藤倉電線(現・フジクラ)入社。以来、30年以上にわたり光ファイバーの研究開発に従事。2020年より常務執行役員として経営改革の陣頭指揮に立つ。21年に取締役COO、22年から現職。手に持つのは、SWRを束ねた「WTC(Wrapping Tube Cable)」。

事業所では作業着を着て仕事をしていましたが、本社では背広を着て、みんなが静かに机に向かっている。非常にアウェイ感があり、昼休みになるたびに外へ散歩に出ていたほどです。後から知ったのですが、私は次期経営陣候補の一人として、いわゆる「タフアサインメント」を与えられていたようです。実際、最も厳しい局面で経営に関わることになりました。

その頃、フジクラは極めて厳しい状況にありました。過大投資や事業環境の変化などにより、20年3月期には過去最大となる385億円の最終赤字を計上。資金繰りも逼迫ひっぱくし、400億円の劣後ローンで何とか事業をつないでいる状況に陥っていたのです。

そうした危機の中で、私たちはどのように構造改革を断行し、V字回復を実現したのか。私は常務執行役員および取締役COOの在任期間中に事業再生計画「100日プラン」を推進し、持続的成長フェーズに移行した22年4月に代表取締役社長CEOに就任しました。経営再建開始当初は取締役ですらなく、あくまで事務局の立場でしたが、危機感が強く、黙っていられませんでした。

事業再生で私が最もこだわったのは、「構造改革を短期間でやり切ること」です。改革が長引けば、社員が疲弊し、組織の士気も下がります。だからこそ、スピードに徹底的にこだわりました。

不採算事業の整理、拠点の統廃合、人員削減、遊休資産や政策保有株の売却など、100を超えるアクション項目を設定し、同時並行で実行しました。その際、残す事業と手放す事業をどう判断するかが大きなテーマになりました。私が重視したのは、「なぜフジクラでやるのか」「その分野で本当に勝てるのか」の2点。単なる採算性だけではなく、技術的優位性と将来性を軸に、選択と集中を進めました。

構造改革には痛みも伴いました。特に難しかったのは、不採算事業の譲渡です。譲渡される側から見れば、切り離されたと感じるのは当然です。ただ私は、「泥舟になりかけているフジクラに残るより、移った先で本流事業を担うほうが幸せな場合もある」と考えていました。ただし実際には、フジクラへの愛着が強い社員も多く、説得は簡単ではありませんでした。

従来構造の光ケーブルからも完全撤退しました。一方で、私自身が20年以上前に考案した「Spider Web Ribbon(SWR)」は、高性能・高密度を実現でき、フジクラの未来を切り開く技術になると信じ、投資を継続しました。

(構成=荻島央江 撮影=門間新弥 図版作成=大橋昭一)

検索時にプレジデントオンラインに関連する記事が表示されます