マラソンもサライも武道館でもない

こうして準備は進み、1978年8月26日、第1回『24時間テレビ』は本番当日を迎えた。断っておくが、マラソンはまだ始まっていない。また「サライ」を代表とした歌でつないでいく演出もない。それらが恒例になるのはまだだいぶ先の話である。

掲げられたテーマは「寝たきり老人にお風呂を! 身障者にリフト付きバスと車椅子を!」というものだった。メイン会場は日本武道館ではなく、東京の郵便貯金ホール(当時)から始まった。そこで、当時人気絶頂だったピンク・レディーが番組テーマソングを披露。進行役の大橋巨泉と竹下景子は日本テレビ(当時は東京の麹町にあった)のGスタジオに陣取った。

日本テレビ旧本社
日本テレビ旧本社(写真=本屋/GNU Free Documentation License/Wikimedia Commons

反響は、予想をはるかに上回るものだった。日本テレビに設置された募金受付用の回線には合計189万本もの電話が殺到。そのうち通じたのは、7万本程度であったという。間違い電話も続出し、番組中で謝罪せざるを得ないほどだった(『NEWSポストセブン』2015年8月22日付け記事)。最終的な募金総額は11億9000万円あまり。これは2011年に破られるまでの最高記録である。

この時ならぬ募金熱の中心にいたのが、やはり萩本欽一だった。番組中、萩本と大竹しのぶは揃って東京のさまざまな場所を訪れた。2人の周囲には、直接募金を手渡ししたいと集まった人びとであふれかえった。

聖火台に火をつけた「まさかの芸人」

そして24時間にわたる放送の最後を飾る「グランドフィナーレ」。場所は東京・代々木公園につくられた特設ステージである。会場にはテレビを見ていた視聴者がどっと詰めかけた。外の歩道橋のところにまでひとが鈴なりになっている。推定2万人あまり。

番組テーマソングが流れるなか、「お客さん気をつけてください」というスタッフの大きな声が鳴り響く。ステージ上の萩本欽一と大竹しのぶは、黄色の番組Tシャツを着てにこやかに手を振っている。進行役の徳光和夫によってステージ中央に呼び寄せられた2人は、何度も「ありがとう」と感謝した。

24時間のあいだに印象に残ったことを聞かれた萩本と大竹は、こう語り出す。明日、目の手術をするという女の子と出会った。その女の子は手術が成功して目が見えるようになったら「最初に欽ちゃんの顔が見たい」と言った。2人は観客にも呼びかけ、一緒に女の子へ激励の拍手を送る。そしてこの時点で募金がすでに3億8500万円を超えたことが、スタジオにいる大橋巨泉から報告された。

するとそこにタモリが登場。サングラス姿のタモリは、聖火のトーチをかかげて大勢の観客をかき分けながらステージ横に設置された聖火台へ。そして点火となった。

代々木公園がオリンピックゆかりの場所だという理由はあるが、ランナーがサングラス姿のタモリなのである意味ちょっとふざけているようにも見える。それでもタモリは照れる様子もなく「点火しましたー」と宣言した。