なぜ「感動ポルノ」と言われてしまうのか
いま見ても、テレビのパワーがぐいぐい伝わってくる。そんな第1回の「グランドフィナーレ」である。何よりもそれは、代々木公園に大挙詰めかけた視聴者の発散する熱気から感じられる。平均視聴率も15.6%(世帯視聴率。関東地区。ビデオリサーチ調べ)と好成績を記録した。
都築忠彦も、「『24時間テレビ』で視聴者参加型の番組をやりたかった」(『文春オンライン』前掲記事)と語る。大人から子どもまで、それぞれがそのとき出せる額を募金する。大切なのは、その行動が自発的であることだ。
近年の『24時間テレビ』に「感動ポルノ」という批判が起こるのは、逆に視聴者が“押しつけ”を感じてしまうからだろう。ではどうすればよいのか?
いろいろな考えかたはあるだろうが、『24時間テレビ』の原点に戻るということであれば、ただ真面目にというのではなく、タモリが体現したように自己批判の要素までエンタメ的に取り込んだものにすることを考えてはどうだろうか? 適度なユルさという言いかたもできる。
そうすることで、感動の押し売りといった印象も減じるように思える。真面目さと楽しさは両立しないわけではないはずだ。そのことを第1回の放送は教えてくれる。
「テレビ局ごときが」と冷笑されながら始まった『24時間テレビ』。だが「テレビ局ごとき」だからこそ生まれる、余計な体面にとらわれない自由闊達さがそこにはあった。