日テレを動かした高校生のひと言

その後、萩本と大竹は、ステージから降りて観客にインタビューし始める。ここでもみな手に貯金箱や小銭の入ったビン、現金を持っていて2人に渡す。なかには持ちきれない萩本のズボンのポケットにねじ込むひとも。そういう人があまりに多いので、タモリも手伝っている。

徳光和夫をはじめ、全国系列局からのリポートでは、障害のあるひと自らが募金を持参してきたことが繰り返し報告される。お金を渡そうとしたが大人たちに押されてつぶされそうになった子どもたちをステージに上げて萩本と大竹が話を聞く場面も。そしてピンク・レディーが登場。タモリは、普段のテレビは一方通行だが、この『24時間テレビ』だと「一緒にやってるんだなあという気がする」とここは真面目に感想を語った。

そして徳光和夫が観客のところに降りていき、萩本たちへの言葉をもらおうとする。するとひとりの高校3年生の男子が手を挙げ、こう言った。

「欽ちゃんさあ、あの聖火みたいにさ、一日で消さないでさあ、もうずっと続けてよ。これ消えちゃったらつまんないじゃない。タモリもさ、頑張ってよ、これ笑いで訴えて。大竹しのぶさんも頑張って」

聖火を携え走る人のシルエット
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そもそもは1回限りの特番だった

周囲の観客からも拍手が沸き起こる。萩本もその思いに打たれたように「よし、この火を消すのよそう」と応える。

実は、『24時間テレビ』はこの年限り、1回だけの予定だった。番組名に「第1回」という言葉はない。「日本テレビ開局25周年記念特別番組」という表現からも、そのつもりだったことがわかるだろう。

しかし、「グランドフィナーレ」の熱気、そしてこの高校生の言葉に示された観客の思いが、局の予定を変えさせることになる。

『24時間テレビ』もいよいよ終わりに近づいた頃、ステージに日本テレビ社長(当時)の小林与三次が駆けつけた。萩本欽一と大竹しのぶの労をねぎらいに来たのだ。「全国の皆さん、ありがとうございます」と言うと、会場の観客からも大歓声が。

すると萩本が、先ほどの高校生の言葉を念頭に置いてのことだろう、「また来年もやってくれって言ってますよ」と小林に言う。それに対し小林は、「何度でもやります。そういう必要がある限り、日本テレビとしてはどれだけでもやります」と思わず興奮気味に宣言したのだった。

こうして一度だけで終わるはずだった『24時間テレビ』は、毎年恒例になっていく。