旅行での兆し
2012年夏。市原さん45歳、夫46歳、長女16歳、次女12歳の頃、市原さんの母親75歳、義父79歳、義母72歳の合計7人で東北旅行を計画する。
結婚して関東に来て以来、関西に住む母親と会うのはお盆と正月などの年に2回ほど。だが、30歳で結婚して家を出た弟が、実家から遠くない場所で暮らしており、子供たちを連れてちょくちょく実家を訪れているようだったため、安心していた。
母親は、事務の仕事を65歳まで勤め上げると、近所の友達とソフトテニスを始めた。市原さんが時々電話すると、「元気よ〜。変わらないよ〜」と明るく言っていたため、楽しく暮らしているのだと思っていた。
ところが、旅行で久しぶりに会った母親の変化に、市原さんは驚きを隠せなかった。ひどく痩せて、目がうつろなのだ。
母親は、「新幹線の乗り方が分からなくてね、人に尋ねて、やっと来られたの。迷って大変だった」と弱々しく言う。旅行中、市原さんが「お母さん、すごい建物だねー、きれいなお庭やねー」などと話しかけても、「あぁ……そうね……」と言って微かに笑うだけ。話しかければ普通に返すが、反応も表情も乏しくなっていた。
以前電話で、「家で震災のニュースを見ていたら、気付いたら夕方になっていた。何時から座っていたのか覚えがない」と話していたが、そのとき市原さんは、「お母さんも年をとったな〜」くらいにしか思わなかった。だが、旅行で一緒に過ごすうち、老いではない違和感を持つ。それは夫や娘たちも感じていた。
旅行から戻ると、市原さんは母親と一緒に関西へ向かい、72歳になる叔父に会うことに。
市原さんが、母親が認知症かもしれないことを伝えると、「なんでそんなになるまで気がつかなかったんや! そりゃ大変だ!」と驚いた。
叔父から責められるのを恐れた市原さんは、「そんなのわからへんよ、ついこの間まで普通やったんよ……」と口ごもる。
叔父はすぐに物忘れ外来のある病院を予約。当時営業事務の仕事をしていた市原さんは、「家族を放っておけない。仕事も何日も休めない」と言って母親は叔父に任せて、自分の家に帰った。
母親はアルツハイマー型認知症。要介護2だと判明。ここ数年はテニスもやめて、ほとんど家から出ず、誰とも話さない日が続いていたようだ。
「母が認知症だとわかり、とてもショックでした。でもそれよりも、これからの自分の生活を案じました……」
叔父は、「こっちに戻ってお母さんと同居してあげなさい」と言ったが、「長男が母を見るものだ」と考えていた市原さんは、「私は長男の家に嫁に行った身。家族も仕事もあるから戻って母を見ることはできない。近くに弟夫婦がいるじゃない」と断った。