関西生まれで、現在関東在住の50代の女性の父親は酒乱だった。母親は幼い長女(女性)と長男を連れて実家に戻った。女性は建設会社の副社長にのぼりつめた叔父(母親のすぐ下の弟)からの援助も受け、大学を卒業。その後、結婚して関東地方に住んで2人の子供を出産。40代になった頃、女手ひとりで育ててくれた75歳の母親が認知症に。その介護を誰が担うべきか、実家の近くに住む弟夫婦ともめにもめた――。
この連載では、「ダブルケア」の事例を紹介していく。「ダブルケア」とは、子育てと介護が同時期に発生する状態をいう。子育てはその両親、介護はその親族が行うのが一般的だが、両方の負担がたった1人に集中していることが少なくない。そのたった1人の生活は、肉体的にも精神的にも過酷だ。しかもそれは、誰にでも起こり得ることである。取材事例を通じて、ダブルケアに備える方法や、乗り越えるヒントを探っていきたい。
両親の別居
関東在住の市原麻美さん(仮名・50代)は、生まれも育ちも関西だ。市原さんが物心ついたときには、父親は酒を飲むたびに暴れ、気に入らないことがあると母親に暴力を振るい、市原さんも2歳下の弟も厳しく折檻(せっかん)されるため、いつも父親にびくびくしていた。
母親は何度も子供たちを連れて実家に帰ったが、そのたびに父親は迎えに来て謝るため、結局母親は家に戻った。
ところが、小学校1年の3月の夜、市原さんは、寝ているところを母親に起こされる。母親は市原さんと弟を連れて、何度目かの家出を決行。終車間際の電車とバスを乗り継ぎ、母親の実家に着いたときは、0時を回っていた。
数日後、父親がいつものように迎えに来ると、母親は、父親に会わないように奥の部屋に隠れていた市原さんに訊ねた。
「お父さんが来てるけど、会いたい?」
市原さんは体を固くして、必死で首を横に振った。
「麻美ー、パパだよー。一緒に行こう」と呼ぶ声が聞こえたが、ちょうど市原さんの様子を見に来た祖母にしがみついた。祖母は父親のところへ行くと、「麻美は顔色が悪なってる。あんたには会いたくないって」と伝える。
しばらくして玄関扉が閉まる音が聞こえた途端、市原さんは心から安堵した。
「まだ6歳の私は、無理やり連れて行かれたらと思うと、とても怖かったのを今でも覚えています」
母親は離婚の意思を伝えたが、父親は頑として受け入れない。経済的に自立していない母親は、子供たちの親権を諦めなければならない可能性があったため、離婚ではなく別居という形を取った。