70代で認知症になった母親の症状は悪化し、介護施設に預けることに。それまで遠距離介護をしていた50代娘の肩の荷が少し軽くなったのもつかの間。今度は義父と不仲の義母が認知症に。義母だけ自宅に呼び寄せ、夫とともに介護していると、義父は夫(息子)を「金を全部返せ」と訴えてきた。その理由とは――。
窓辺に立ち朝日が差し込むカーテンを開ける女性
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【前編のあらすじ】関西生まれで、現在関東在住の50代の女性の父親は酒乱だった。母親は幼い長女(女性)と長男を連れて実家に戻った。女性は建設会社の副社長にのぼりつめた叔父(母親のすぐ下の弟)からの援助を受け、大学を卒業。その後、結婚して関東地方に住み、2人の子供を出産。40代になった頃、女手ひとりで育ててくれた75歳の母親が認知症に。その介護を誰が担うべきか、実家の近くに住む弟夫婦ともめにもめた――。

叔母たちとの亀裂

認知症になった75歳の母親のために、叔父は献身的に介護してくれた。72歳になるまで全く料理をしなかったにもかかわらず、卵焼きや野菜炒めなどを作って実家の母親に届け、食べさせてくれる。叔父の妻も協力的で、しばしば料理を差し入れてくれた。

市原麻美さん(仮名・現在50代)は、心から感謝していた。

叔父は、母親が食べたものや飲んだもの、服薬状況を記録するほか、電気やガス、水道メーターをチェックして、入浴したかどうかも確認。さすがに叔父や叔母では母親を入浴させられず、母親も拒否するため、2週間に一度、市原さんが来て入浴させた。

週に何度か、叔父は事細かに母親の状態を伝えてくれた。市原さんはその度に、叔父に対する感謝と申し訳ない気持ちなった。

当時45歳だった市原さんは、平日は仕事(営業事務)をし、夫の助けを受けながら家事と育児(16歳、12歳の子供)をこなし、2週に1度関西へ行く遠距離介護生活を開始。金曜夕方、仕事から帰宅すると、娘たちと食事をした後、深夜バスに乗車。朝5時ごろ大阪梅田に着き、すぐ実家へ。家の中を片付け、買い出しに行き、母親と一緒に食事をしたり散歩したりして過ごす。日曜日の夕方になると、「ぷらっとこだま」で約4時間かけて関東に帰り、また月曜日には仕事だ。市原さんはこの頃、体重が7〜8キロ減った。