わからなくなってしまう前に

義母は専業主婦のかがみのような人だった。掃除も洗濯も丁寧で、料理はおいしかった。しかし同居してから料理をしてもらったところ、残念なことに、腕が落ちていた。市原さんたちは、年齢のせいだと思った。

ある日、家から3分ほどの郵便局に行くおつかいを義母に頼んだところ、「行けない」という。どんなに説明しても、地図を書いても拒否。さらに、同じ話を何度もしたり、話がかみ合わなかったりする。その違和感は夫も抱いていたようで、夫はすぐさま義母を物忘れ外来へ連れて行った。

結果はアルツハイマー型認知症。要介護1。ケアマネジャーと相談し、デイサービスの利用を開始した。

デイサービスに通い始め、生活のリズムが整い始めると、義母は同居生活にすっかりなじんでいた。「もう今さら義父のところへ戻すことはできない」そう思った市原さんは、「前向きに考えよう」と腹をくくり、義母ができることはなるべく任せようと計画。

そのことが功を奏し、義母の認知症の進行を遅らせるだけでなく、料理の腕も、だんだん昔のレベルに戻っていった。若い頃は神経質で頑固なところがあった義母だが、認知症のせいで多少大雑把になり、市原さんは「同居が認知症になってからで良かった」「私は仕事もあるし、義母が家事を頑張ってくれて助かる」と思った。

しかし体は正直だ。同居して8カ月ほど経ったある晩、市原さんが風呂上がりに髪を乾かしていると、頭に500円玉大のハゲができていることに気が付いた。

「義母はまじめで優しく、細かいことに気がつく。『こんなにいい人なのに、なぜ、私はこの人を嫌うんだろうか』と、私は申し訳ない気持ちになりました」

同じ頃、同居を続けるにあたり、夫が義母の預金を確認したところ、約30年前に亡くなった義母の父親の遺産が残っていたことを知る。

市原さんは、「こんな大金を持っていたのに、どうして一人息子の結婚のために出してやらずに、うちの母と叔父に全部出させたの?」という気持ちが大きくなり、翌日、思い切って義母に訊ねた。

話し合いをする2人のシルエット
写真=iStock.com/PrathanChorruangsak
※写真はイメージです

すると義母は首を傾げてぽつりぽつりと言う。

「どうだったかしら……? あの頃、夫が株で大損して、父の遺産のおかげで家は失わずに済んだのだけど……あのお金、夫はまだ返してくれていないのよね……。私、あのとき何も用意してあげてない?」

「いえ、何も」と市原さん。

「私、そんなだった? 忘れちゃったわ。でも、たぶん、お金、使いたくなかったのよね。とっておきたかったのよ」

瞬間、市原さんは合点がいった。

義母は、自分の1人息子(市原さんの夫)が新居を買っても、新しい家具や家電をそろえても、その費用をどうやって捻出したのかあえて訊ねなかった。訊ねて負担しなければならなくなることを恐れた。知らぬ存ぜぬを貫いたことで、息子夫婦の結婚費用などを出してくれた市原さんの母親や叔父に対する罪悪感も少なく済んだ。専業主婦だった義母は、金遣いの荒い義父から自分の身を守るので精いっぱいだったのだ。

市原さんは、長年気になっていたことが聞けてスッキリしつつも、すでに自分のことさえわからない状態の実母に(義父母が結婚費用を自分の母親と叔父にすべて負担させたにもかかわらず、謝罪も感謝もなかった理由を)伝えることができないことを悔やんだ。