都内のメーカー勤務の40代女性はひとりっ子で、実家で両親と暮らしている。小さい頃から両親はお金をめぐって言い争いが絶えない家庭環境。30代後半になった頃、70歳超の父親に認知症の症状が出始め、家族に暴力や暴言を働くように。女性は父親介護のストレスで不整脈になり、手術を受けて帰宅すると、トイレの便器周辺は尿でびしゃびしゃ。拭き掃除を余儀なくされた――。
暗い室内で悲しみに暮れている女性のシルエット
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この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないに関わらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

金銭的に汚い父親と気性が激しい母親

都内のメーカーで一般事務の仕事をする増井貴子さん(仮名・40代・独身)は、ひとりっ子。今も実家で暮らし、1時間ほどかけて通勤している。

塾の講師だった増井さんの父親は36歳のときに、証券会社の事務員だった32歳の母親と見合いをし、同郷であることが縁で2人は結婚。翌年に増井さんが誕生した。

一見ソフトでおとなしい印象の父親だが、お金に執着するところがあり、家庭を持ったにもかかわらず家に生活費を入れることを渋るため、母親はとても苦労した。

「父は、『妻はただ働きのお手伝いさん、子供は水さえ飲ませれば一人で自然と育つか誰かが育ててくれる』と本気で信じていました。そう信じて疑わなかったがゆえに、給料を生活費として家庭に入れるという世間一般のやり方を父は受け入れがたかったようで、母や私がどれだけ説明しても最後まで納得していませんでした」

一方母親にも2面性があった。玄関を一歩出れば、性格は明るく、仕事もできるしっかり者。周囲からとても慕われていた。だが、家の中では気性が激しく完璧主義者で、粘着質なところがあった。

「当時としては2人とも晩婚だったと思います。父が独り者だったのは変わり者なので納得なんですが……。母は若い頃、いかに自分が美しくモテたかをよく自慢していました。モテていたのに、その年齢(32歳)まで婚期が遅れ、かつ見合いだったのは、母が相当選り好みをしたか、気性の激しさゆえに、当時の恋人から結婚相手として選ばれなかったということでしょう」

父親は仕事人間でも仕事ができる人間でもなく、真面目な勤務態度であることだけが取り柄。職場では敵を作らない中立派で、定年まで平社員。出世はせずとも給料はそれなりに良かったが、いかんせん家に生活費を入れたがらない……。両親は四六時中、お金のことでもめていた。

「子供の頃、わたしは母のことは好きでしたが、父のことは嫌いでした。父と2人、あるいは家族3人での良い思い出はありません。父がいると何かもめ事が起こるのではないかと、不安になったりイライラしたりして、父には消えてほしいと思っていました」

不仲な両親の姿しか見ていない増井さんは、40代になった今も、仲の良い夫婦というのがどういう生活をしているのか、いまだに想像すらできないという。